デカルトの合理論、ベーコンの経験論と言われるが、実際のベーコンの哲学は、少し違うようだ。確認せよ!

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ノヴム・オルガヌム―新機関 (岩波文庫 青 617-2)

知識の真の目的は、人生の福祉と有用である。力への欲求や知識への欲求からではなく、愛のうちで学問は成しとげられ、愛によって支配されるべきである。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

野心の3つの種類:(1)自己の力を伸ばす、(2)祖国の力を伸ばす、(3)人類の力を伸ばす。より健全で高貴なのは(3)だ。そして、力の伸長に肝要なのは、自然はこれに従うこと(知識)なくしては、命令されない(技術)ということだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

人間は、原因から結果を生ぜしめる自然の法則を知り、欲する結果のための原因を配置する。そして、あとは自然が自らのうちで成しとげる。このようにして、人間の知識と力とはひとつに合一する。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

帰納法:感覚や実験により事物の本性に迫り、低次の命題から高次の命題へ、飛躍することなく段階的に探求してゆく。真実で実質的な生きた公理は、中間的公理であり、空想的な一般的公理ではない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

経験派は蟻の流儀でただ集めては使用する。合理派は蜘蛛のやり方で、自らのうちから出して網を作る。しかるに蜜蜂のやり方は中間で、庭や野の花から材料を吸い集めるが、それを自分の力で変形し消化する。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

[「学を扱ってきた人々は、経験派の人か合理派の人かの何れかであった。経験派は蟻の流儀でただ集めては使用する。合理派は蜘蛛のやり方で、自らのうちから出して網を作る。しかるに蜜蜂のやり方は中間で、庭や野の花から材料を吸い集めるが、それを自分の力で変形し消化する。哲学の真の仕事も、これと違っているわけではない。それはすなわち精神の力だけにとか、主としてそれに基づくものでもなく、また自然誌および機械的実験から提供された材料を、そのまま記憶のうちに貯えるのでもなく、変えられ加工されたものを、知性のうちに貯えるのである。それゆえに、これら(すなわち経験的と理性的の)能力の、密で揺らぎない結合(未だ今までに作られていないような)から、明るい希望が持たるべきなのである。」]]

諸学の目標ないし目的は、抽象的で澄んで明るく静けさをもった知恵かもしれないが、たとえ混乱と動乱の中にあっても、最も熱心な世界の分析と解剖を通してでなければ、世界の真の雛型には、到達できない。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

学問や技術そのものが、諸悪の原因であるという非難には、注意すること。なぜなら、知能・勇気・力・容姿・富などと同様に、それは正しい理性と健全な宗教の導き次第だからだ。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

推論式による通常の論理学がすべての学問に適用できるように、帰納法も、自然哲学だけでなく、残りの諸学、論理学・倫理学・政治学についても、適用される。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

最大の希望:過ぎたことに関して最悪のことは、未来に対しては最善と見られねばならない。なぜなら、私たちの課題や問題が、過去の誤りによるのなら、それを除き訂正することで、大きく好転させ得る希望がある。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

人間の知性を捕えてしまって、そこに深く根を下ろしている「イドラ」および偽りの概念を前もって知り自分を守らなければ、真理への道を開くのは困難になろう。(フランシス・ベーコン(1561-1626))

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