デカルトの情念論は、未だ汲み尽くされてはいない。心理学、倫理学、社会学の学徒は、本書を読むべし!

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情念論 (岩波文庫)

精神の受動のひとつ、身体によって起こる知覚として、意志によらない想像がある。夢の中の幻覚や、目覚めているときの夢想も、これである。これらは、飢え、渇き、痛みとは異なり、精神に関連づけられており、これらが情念である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

意志の作用によって直接、情念を制御することはできない。持とうと意志する情念に習慣的に結びついているものを表象したり、斥けようと意志する情念と相容れないものを表象することで、間接的に制御することができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

わたしたちは、情念を巧みに操縦し、その引き起こす悪を十分耐えやすいものにし、情念のすべてから喜びを引き出すような知恵を持つことができる。(ルネ・デカルト(1596-1650))

情念はその本性上すべて善い、その悪用法や過剰を避けるだけでよい。(ルネ・デカルト(1596-1650))

情念が、欲望を介して行動や生活態度を導く場合には、原因が誤りである情念はすべて有害である。特に、偽なる喜びは、偽なる悲しみよりも有害である(ルネ・デカルト(1596-1650))

自由意志にのみ依存する善きことをなすのが、徳という欲望である。これは、私たちに依存するものであるゆえに、必ず成果をもたらす。(ルネ・デカルト(1596-1650))

[「わたしたちにのみ依存しているもの、つまり、わたしたちの自由意志にのみ依存しているものについては、それが善いと知りさえすれば、それを欲するに熱心すぎるということはありえないからだ。なぜなら、わたしたちに依存する善きことをなすのが徳に従うことであり、徳については、どんなに熱心な欲望をいだいても、熱心すぎることがありえないのは確かなのだから。そのうえ、わたしたちがこのようなしかたで欲するものは、ただわたしたちにのみ依存するものである以上、必ず成果をもたらすので、わたしたちは期待した満足すべてをつねに受け取るのである。しかしこの点においてふだん犯される過失は、欲しすぎるということではけっしてなく、ただ、欲し足りないということだけだ。これに対する最上の治療法は、それほどは有用でない他のあらゆる種類の欲望から精神をできるかぎり解放して、つぎに、欲望すべきものの善さをじゅうぶんに明晰に認識して、それを注意深く考察するよう努めることである。」]]

まったくわたしたちに依存しないものについては、それれがいかに善くても、情熱的に欲してはならない。(ルネ・デカルト(1596-1650))

私たちに依存しないものを可能だと認め欲望を感じるとき、これは偶然的運であり、知性の誤りから生じただけの幻なのである。なぜなら摂理は、運命あるいは不変の必然性のようなものであり、私たちは原因のすべてを知り尽くすことはできないからである。(ルネ・デカルト(1596-1650))

永遠の決定が、私たちの自由意志に依存させようとしたもの以外は、すべて必然的、運命的でないものは何も起こらない。私たちにのみ依存する部分に欲望を限定し、理性が認識できた最善を尽くすこと。(ルネ・デカルト(1596-1650))

わたしたちが正当に賞賛または非難されうるのは、ただ、この自由意志に依拠する行動だけであり、これだけが、自分を重視する唯一の正しい理由である。(ルネ・デカルト(1596-1650))

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