デカルトが晩年にお付き合いのあったエリザベトからの質問に対する、デカルトの回答。

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デカルト=エリザベト往復書簡 (講談社学術文庫)

問題:(1)善を完全に知るには、無限といえるほどの知識が必要ではないか。(2)善の評価には、他の人の有益性も考慮すべきか。(3)他人の有益性の考慮がその人の性向だとしたら、違う人には違う「善」が完全だと承認させるのではないか。(エリーザベト・フォン・デア・プファルツ(1618-1680))

[「むしろ私は確信していますが、人民の統治者たちを不意打ちし、最も有効な措置を検討する暇も与えないような多くの偶然の出来事は、(その人がいくら有徳であっても)至福を妨げる主たるものの一つだとあなたがおっしゃる後悔を、あとで引き起こすような行為をしばしばさせるのです。たしかに、善をそれが満足に貢献することができるのに応じて評価し、この満足をそれが喜びを生みだす完全性に応じて評価し、これらの完全性や喜びを情念を交えることなく判断する習慣は、無数の誤りから彼らを守るでしょう。 しかしこのように善を評価するためには、善を完全に知る必要があります。そして現実の生において選択を迫られるすべての善を知るためには、無限の知を所有する必要があるでしょう。できるかぎりのすべての用心をしたと良心が証言するとき、人は満足せずにはおれない、とあなたは言うでしょう。しかし収支勘定が分からないときには、決してそういうことは起こりません。なぜなら、まだ考慮していないことがらについて、人はいつも考えを変えるからです。満足を、それを引き起こす完全性に応じて測るためには、われわれのためにだけ役立つものがいいのか、それとも他の人にも有益なものがいいのか、おのおのの価値をはっきり見なければなりません。後者は他人のことで心を悩ませる性質の人によって過度に評価され、前者は自分のためだけに生きる人によって過度に評価されます。それにもかかわらず、いずれの人も自分の性向を、それを一生持続させる十分強い理由によって支えています。身体や精神の他の完全性についても同じです。暗黙の感情が理性に完全性を承認させます。その感情はわれわれに生まれつきのものですから、情念と呼ばれるべきではありません。それゆえ、(自然から与えられた)感情にどこまでしたがうべきか、いかにしてそれを正すべきかを、どうかお教え下さい。」]]

解答:(1)自己の傾向性に多くを任せ、自己の良心を満足させれば十分である。(2)この世界と個人の真実を知れば、全体の共通の善も認識できる。(3)仮に自己利益の考慮のみでも、思慮を用いて行為すれば共通の善も実現される。但し、道徳が腐敗していない時代に限る。(ルネ・デカルト(1596-1650))

[「このように神の善性、われわれの精神の不死、宇宙の広大さを認識したあとで、その認識がたいへん有益であると思われるもう一つの真理があります。それは、われわれの各々は他人から分離された個人であり、したがって、その利害は他の人の利害とある意味で区別されるにせよ、しかし人は一人では生存することができないと常に考えねばならないことです。実際、人は宇宙の一部であり、より詳しく言えば、この地球のまた一部であり、この国の、この社会の、この家族の一部であり、人はそれと住居、誓約、生まれにおいてつながっていると考えねばなりません。そして人は、一個人の利益よりも、自分がその一部である全体の利益をいつも優先させるべきです。ただ、それもあくまで節度と慎重さとをもってのことです。」]]

デカルトの回答の続きを、ぜひ本書で読んでみて下さい。

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