敵は,日常にあり

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黒山もこもこ、抜けたら荒野  デフレ世代の憂鬱と希望 (光文社新書)

1970生まれの著者の書いた,高度成長期後の日本の幸福論.
消費社会爛熟期の80年代が10代のすべて,
バブル崩壊後のいわゆる失われた10年が20代で社会への出発点,
戦後日本の経済社会の変容によって割りを食った個人史を開陳する内容.

黒山もこもこ,とは,遊び,就職,どこにいっても人混みで,人混みの後頭部がもこもことある様子
抜けたら荒野とは,例えば以下のような状態.

今日のワーキング マザーの姿は,
母としては,家族の世話に滅私奉公すること,
労働者としては,サービス残業も辞さずに会社に滅私奉公すること
を両方同時にこなさなければならない圧力を日々身に受けている状態.
それでいて,専業主婦の状態が,普通の暮らしと,半ば無意識に感じていて
こんなにも頑張っているのに普通に暮らせていないと感じている状態.

保育所への入所条件に,現在働いていること,その他の厳しい条件があり
働くために保育所を確保したいのに,働く前なので条件を満たせず
子供をあずけられないという状態.

お見合い結婚で,バブルの狂乱時代を,子の産み育てに捧げた母親は
子供の自分に,好きな仕事をして,自分で生きていく力を身につけなさい
結婚なんかつまらないわよ,と,上記のような荒野に進んで我が子を送り出す状態.

高度成長期の輝かしい「普通」が,ほころびを見せている今日においてもなお
「普通」でなければ,幸福にはなれないと,思い込まされ
晩婚,非婚,非正規雇用など,普通になれていないのは,
コミュニケーション能力の不足のためだなどと
自己責任に転化される状態.

こりゃ,確かに,荒野と言える.

詩人らしい指摘もある.以下のような.

思考せずにスマホの返信を繰り返すという行為,いや,もっと言えば
相手の「テンション」に瞬時に合わせる「だけ」の
コミュニケーション スキルを駆使し続けることは,
言葉と思考と感性との間に築かれた,
自分なりのバランス感覚の保持を困難にする.

また,サンデルが挙げた問題も取り上げている.

例えば,自殺しようとしている人を止める場合,
あるいは援助交際する女子学生を止める場合,
「自分の命(身体)なんだから,自分でどうしようと勝手」
だと言われてしまったら,どうすれば良いのか?

道徳に基づき,止めることは可能だが
道徳が集団内で共有されていない場合は,効力がない.
「はぁ?おばさん,何言っての?」
と言われたら,もはや効果は無いのである.

今の日本で通底している「自由」は,
漱石の言った「私の個人主義」ではない.

他者の自由の尊重もなければ,権力を持つことへの義務も,
金力をもつことへの責任も,何もかもない.
あるのは,しいて言えば,「個人の私主義」とでも言うべき現象である.
「私」が大切,ほかには何もない.

俯瞰すれば,イギリス発,アメリカ育ちのこの徹底した自由への志向は,
義務や責任といった側面をそっくり忘れられ,現在暴力的な様相すら見せている.
なぜならグローバリゼーションのなかでふるわれる他者への暴力は,
相互に顔が見えず名前ももたないからだ.

サンデルは,コミュニティと切り離した完全自由な個人など
現在の社会においても,幻想なんだと丁寧に説いたが
本書は,現在の社会では,事実上,コミュニティと切り離した完全自由な個人
が現象として成立してしまっているという問題提起で止まっている.
本書最後の一文は,敵は,日常にあり.

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