精神の異常、またその鏡像である正常とは何か

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異常とは何か (講談社現代新書)

 本書は精神医学を専門とする臨床の精神科医が、「何が人間精神にとって異常であるのか」「何が正常であるのか」というきわめて根本的な問いに取り組んだ意欲作である。
序章では、異常と正常とが完全に断絶したものという見方がかつては優勢であったが、第二次世界大戦以降、状況が変わってきたと指摘される。フロイト以降の精神分析を土台とする力動的精神医学が、伝統精神医学と同じように勢いを増すと、精神の病いという不可解な対象に対しても正常心理の側からアプローチして理解し治療しようとする姿勢が芽生えてきた、という歴史的経緯が語られる。
第2章では、さらに歴史を遡り、近代に至るまで精神病が脳の病いと考えられたことは一般にはなく、精神病院という医療施設において、それが医学的に治療されるべきものとの考え方も当然なかったと指摘される。精神病を意味する言葉も、その起源をたどってゆけば旧石器時代における動物供儀や、新石器時代以降の農事・戦争などにおけるシャーマン(預言者)に逢着したように、元来は超常的・神秘的事象を指し示すものであったようである。しかし、近代以降、私たちは精神の異常を、このように精神医学化するようになったわけである。著者によると、この精神医学化は、その後も現代に至るまで、ほとんど後退することなく進み、今日では「異常」と名指される多くの状態が、ことごとく「病い」として精神医学の対象に組み込まれつつある。例えば「引きこもり」「不登校」「発達上の問題行動」「自殺」などが、いずれも「全般性不安障害」「社会不安障害」「発達障害」「うつ病」などの「病い」またはその結果として定位されつつある。しかしながら、日常生活にとって何か不都合なものを次々と「病い」に加え、精神医学の対象を生み出してゆくのなら、それは際限のない精神医学化を生み出す、と警笛を鳴らす。
第2章ではほかに戦前の精神構造として自殺が「カミカゼ」「ひめゆり」「肉弾三勇士」「玉砕」などとなって現れた現象は、戦争の終結とともに本当に消え去ったのか──それは戦後も残遺し、現代日本の企業風土においても引き継がれていることはなかったのかと論じ、著者はここで正常と異常の、両者が時と場合によって倒置するという性質をも指摘している。
第3章では、正常と思われる精神も、それを極端にまで推し進めるのなら、そこにはすでに異常が現れるという、関係構造についての考察がされる。つまり、異常とは、ある意味でその一方の正常という有り様の過剰な状態であるという性質のことである。
第4章は、こうした異常と正常との関係構造が、これまでどのような思考モデルによって把握されてきたのか、の解説がなされる。
第5章は社会における異常と正常である。ドイツのアウシュヴィッツを例に、それが労働効率が極端にまで高められた現代社会の象徴のようであったと指摘される。つまり、アウシュヴィッツでは、労働者に対して劣悪な、最低限の処遇を与える一方で、その労働内容はきわめて苛酷なものであったがゆえに、一般の労働効率とは比べ物にならないほど高いものであった。
終章では少なくとも、近代に発する今日の精神医学は、自らが規定する「異常」というものに対して、それをただちに、一律に、そして無反省的に治療のターゲットとするのではなく、多少の熟慮と寛容さをもつべきではないだろうか、という著者の想いで締めくくられる。

感想

何が異常で、正常か、というよりも、その時代や社会で異常や正常がどのように定義されてきたのかを知ることで、異常と正常の奇妙な関係に迫る一冊です。

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