後半 これからの政治

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これからの「正義」の話をしよう (ハヤカワ・ノンフィクション文庫)

自らの努力ではどうにもできない社会的背景.
例えば,テキサス大学ロースクールに不合格になった白人ホップウッドは
同校のアファーマティブ アクションによるマイノリティの出願者優遇により
自分より成績が低いアフリカ系やメキシコ系アメリカ人が合格していることを
不当として裁判を起こした.
人種や民族の多様性を確保するためにテストの差を補正する大学の方針は,認められるものだろうか?
アファーマティブ アクション無しにして,似通った所得の白人のみが通える閉鎖的な大学では
有意義な学びはできないとする大学の考えは妥当ではないだろうか?
そもそもマイノリティを不利な立場に陥れた過去の政策の責任は,どう考えるのか.
過去の世代の過ちを,自らは関与していない世代が償う必要はあるのか.

大学は,選考基準を自ら勝手に決めることはできるかのか?
私立なら良いか?公立ならばどうか?
入学許可を競売にかけてはいけないのか?

社会的成功や幸せの一部は,徳や名誉の観念が関わる.
徳や名誉は,道徳や正義抜きには語れない.
それゆえ,社会のあり方を議論する政治は,道徳や正義と無関係ではいられず
徳や名誉と無関係でいられず,道徳やそれに関わる宗教と無関係ではいられない.

要するに,言いたいことは何かというと
宗教や道徳と,政治を,切り離して,福祉や幸福を追求する旧来の政治では,
国民に幸せをもたらすことはできない.
今まで避けてきた宗教や道徳を
政治は避けずに議論すべき
ということ.

もちろん,アリストテレスが善き市民を定義した政治の時代ならいざ知らず
今のこの時代に,宗教や道徳において,何が正しいかを
政治が決めることはできないし,決めるべきでもない.
しかし,だからと言って,一般に信じられているように
宗教や道徳と無縁に政治を行うということは本当に可能だろうか?
否,実は不可能である.
ならば中途半端に避けるのではなく,がっつり議論すべき.ということ.

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