カーゴ・カルト・サイエンス

97164viewsトモコトモコ

このエントリーをはてなブックマークに追加
ご冗談でしょう、ファインマンさん〈下〉 (岩波現代文庫)

 さんざんいろいろやってみたあげく、とうとうネズミは床を走るとき、その響き具合でドアの場所を覚えているのだということを発見しました。床が響かないようにするのには、通路の部分を砂の中に置くしか方法はありません。このようにしてヤングはネズミが感づきそうな可能性を一つ一つ取り除いていった結果、はじめてネズミをだますことができたのです。

 さてこの実験を純粋な科学的立場から見るなら、これこそ第一級の実験です。なぜならドアの違いがわかるのは、こういう理由だからだろうという憶測によらず、実際にこれを示すことができたからで、これでこそ迷路にネズミを走らせる実験に意味が出てくるのです。そしてこの実験結果は、この種の実験において、細心の注意を払ってすべてをコントロールするためには、どのような条件を作らなくてはならないかを、はっきりと示しているのです。

 私はこの彼の実験を土台にして、その後どのような実験が積み重ねられてきたかを調べてみたのですが、驚いたことに次に発表された実験も、その次の実験も、どれ一つとしてヤングのことなど少しも引用していないのです。通路装置を砂の上に置くべきとか、細心の注意を払うべきとかいうヤングの基準など、全然使われていないのです。どの実験も、ヤングの論文にすら触れていないのは、ヤングがネズミについては何の発見もしていないからだというわけなのでしょう。ところが、実は、ネズミの行動について何かを発見しようとする者なら誰でも絶対しなければならないことを、ヤングはすべて発見しているのです。しかしこのような重要な実験にも注意を払おうとしないのが、カーゴ・カルト・サイエンスの特徴といえるでしょう。
 今一つの例はライン氏らによる例のEPS(超感覚的知覚)の実験です。さまざまながこの実験を批判し、実験をした当人たちも自分の実験を批判するにつれ、そのテクニックが改善されてゆき、あったはずのEPSの「効果」はだんだん小さくなっていって、しまいには何もなくなってしまうのです。ところが超心理学者たちは皆、繰り返し行っても、統計的にも同じ結果の出るような実験を求めて、100万匹のネズミ、いや今度は人間を使ってさまざまな実験をやってはある統計的結果を出すのですが、これを後でまた繰り返してやってみると、もうその同じ結果は出ない。そうすると、そもそも繰り返してできる実験などを望むのは見当違いというものだ、などと言い出す人まで出てくるしまつです。これをいったい科学とよべるものでしょうか。
 この人は超心理学研究所を辞任するときの演説の中で、新しい研究所の話をしたのですが、次に何を研究すべきかを説明するにあたって、この仕事にいくら熱意を持っていても、当たり外れのある結果しか出せないような学生は時間の無駄になるから訓練することはない。ぜひともある程度以上のPSIの結果を出せる能力のある学生のみを選んで教育せよと言っています。人を教育するというのに、科学的良心をもって実験をすることを教えるより、ある結果を得る方法だけを教えるなどという方針を決めてかかるのは、非常に危険なこととしか言いようがありません。
 ですから私が今日卒業生諸君へのはなむけとしたいことはただ一つ、今述べたような学術的良心を維持することができるようにということです。つまり研究所や大学内で研究費だの地位などを保ってゆくために、心ならずともこの良心を捨てざるをえないような圧力を感じることなく、自由に生きてゆけるような好運を、との一念に尽きます。願わくば諸君がそのような意味で、自由であれかしと心から祈るものです。

関連まとめ

本のまとめカテゴリー


コメントを書く