高学歴の哲学あるミニマリストが、自由を希求し自作の小屋暮らしで自己完結生活を実践

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僕はなぜ小屋で暮らすようになったか 生と死と哲学を巡って (DOBOOKS)

「いつか死ぬんだ!」
って気が付ついたのは、わたしも著者とおなじく小学校の低学年の時
その日運動会がおわり昂奮さめやまぬ日暮れ時、自分の"いのち"が有限であることに打ちひしがれて
自宅兼店舗であった店先のショーウィンドウに隠れて、めそめそと泣きべそをかいた。

それ以前にも寝床にはいって"死"をぼんやり考えてたことはあった。
真っ暗な宇宙に吸い込まれて同化していくような感覚だったが、一日中動いて疲労した身体に極度の昂奮から脳が刺激をうけたのか、号泣した。

誰もが少なからず通過するこの体験を、著者は今現在も強烈に、どうしようもなく抱え込んでいる。
生と死の両端を行き来する"こころ"にうまく妥協点をみつけ孤独で長閑な暮らしを追求している。
ただひたすら自分のために自分が心地よいと感じるために行動しなければいけないという点で、
著者の熱望する"ホンモノ"はすでに成就したのではないだろうか?

最低限の暮らしとはいっても、日々の食料代や雑木林と河川敷のテントを往復する移動費たまに旅にでれば旅費、これらの諸費用はどのように捻出しているのかが疑問に思った。

高学歴の哲学あるミニマリストが、自由を希求し自作の小屋暮らしで自己完結を実践する。
結実することない未来、だがその過程を楽しむのが彼オリジナルの人生なのだろう。

世界中のひとが逃れることのできぬ宿命である「死」
存在は永遠に消滅して完全な無の状態が続く
けれどひとは日常に埋没してとりあえずプールしておく

死を常に感じ眼前にぶら下げておき、儚いからっぽの生活をおくる著者
いやはや 仏さまのようなかたである

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