蒙古襲来と天変地異で神威高揚はなぜ起こったのか?そしてその果てにはー

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新 神風と悪党の世紀: 神国日本の舞台裏 (日本史史料研究会ブックス)

神国日本の舞台裏 

第一章 異国の襲来

二度の元寇の難局を乗り切り一応の安定をみた1301年8月、時の執権北条貞時は鎌倉円覚寺にて幕府の威信をかけた巨鐘の披露式に臨んでいた。
その4日後ハレー彗星が出現、翌日貞時は執権を辞職。
政権交代後の12月、更なる蒙古襲来の報告あり(実際は未確認)。

第二章 神国の誕生

1281年弘安の役において台風による蒙古軍壊滅時、人々は台風に神の化身を見た。その後も鎌倉などで蒙古襲来の噂や大地震や天変地異が続き、民衆の危機意識が極度に達し時の宗教界も民衆と幕府朝廷の支持に乗り国全体で寺社造営ブームが起こる。

第三章 悪党の烙印

各寺社の行いは強硬になっていく。
ささいな縁起に基づき領地返還や奉仕を人々に要求。言うことを聞かなければ悪党とレッテル張りし生活基盤を奪う。寺社は戦争で穢れた国土浄化のためと言い殺生禁断運動を推進するが、それが寺社勢力の権限拡張に利用されていく。生活の場と手段を奪われた住人は寺社への従属を深めていき、反抗すれば悪党とされ無間地獄に落ちるとされた。寺社に敵対する悪党は、その当時形成されつつあった寺社を中核とする地域の秩序から排除され、鎌倉時代最末期には国家に反逆する反体制勢力となっていく。

第四章 徳政と伊勢神道

伊勢神宮にも徳政は深く影響を及ぼした。
蒙古襲来の後、日本は神の国であるという伊勢神道が提唱されたが、これは伊勢神宮の外宮神官の渡会氏が提唱したもの。神領興行(神領返還のこと)運動真っ最中の1301年、反体制派を貫いてきた念仏教団、時宗の指導者が伊勢神宮を初めて参詣。これは、悪党や非人など体制宗教に排除されてきた人々を救済するはずの時宗が体制宗教の中核である伊勢神宮-中世神国思想ーに屈服した瞬間であった。
しかし、各寺社勢力の内部では、生き残りをかけた熾烈な権力闘争-それはリストラでもあり再建でもあるーが始まっていた。

第五章 荘園社会の危機

宇佐八幡宮は古来より崇敬され所領も膨大であったが、時代が下るにつれ荘園制の欠陥があらわになってきた。世襲により無能な者でも役職に就け、また給分が利権化。当時の一族分割相続の慣習により、給分が細分化され対立や質流れなどが多発。また世襲の悪弊で公私混同、神領を私領化する等。再建を不可避とする寺社内部の事情とは、荘園制の制度疲労であった。
改革を要望する声が神官諸家の側から高まっていったが、本家、朝廷、幕府の壁が厚く行き詰る。
しかし、ついにこの壁を突破する権力が突如誕生する。

第六章 後醍醐天皇の専制

1333年、鎌倉幕府滅亡。
「朕が新儀は未来の先例」
先例が重んじられる中世の世に既存の秩序をものともしない後醍醐天皇は,日本神国思想を吸収し絶対化した。体制改革派からの熱烈な支持と前体制から排除された悪党を組織しその軍事力によって幕府を打倒した。改革派と連携し荘園制の再建を助成したものの、地方政府組織の構築に失敗し恩賞の配分にも公平さを欠き崩壊。絶対化したがゆえにその崩壊は天皇制自体の危機に。

終章 神国日本の行方

南朝・北朝に分裂した朝廷は、唯一の存在で無くなり権威は失墜。朝廷はその後室町幕府の保護・統制下に収まっていく。
高揚した仏神の権威も、それを吸収した後醍醐政権崩壊によって落日を迎え、室町幕府の支配秩序に入ることとなる。
荘園制の改革は、半世紀余りに渡る南北朝内乱により、各勢力は武力による秩序再編成となった。
1378年、次のハレー彗星が現れたが、朝廷も足利義満も動きもなく徳政も議論されなかった。

感想

これでもかなり端折りました・・
面白くてわかりやすく、勃興する神の国の空気を切り取った優れた名著だと思います。
興味を持たれた方はぜひ原本を手に取ってみられることをお勧めします。
このヘタな要約よりよっぽど面白いですよ!

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