「尊厳死」に尊厳はあるか

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「尊厳死」に尊厳はあるか―ある呼吸器外し事件から (岩波新書)

●総括すると、問題はあまりにも行き過ぎた過剰な延命措置や、死んでいく本人よりも周りの都合で決める延命中止。
患者本人の医師を尊重しながら、最後の一瞬まで尊厳ある生を支える終末医療の室の確保に力を注ぐのが問題解決の早道。
真の尊厳死は静かに実現されている。

●法案の名は「臨死状態における延命措置の中止等に関する」で、一応は客観的に内容が伝わる名になった。
 これまでの「尊厳死」や「自然死」では、主観的、情緒的で、規定の対象となる作為、不作為の行為について具体的に把握できぬ上に、人それぞれの価値観によっては悪でもあり、善でもある行為を、良いことのようなベールで覆ってる。
アメリカの「尊厳死法」「自然死法」等にならったものでしょうが、アメリカの場合には、もともと尊厳死という概念そのものが、日本とは桁違いの訴訟の多発への医療側の防衛のために生じた不自然なまでの延命医療への反動として、1960年代終わりに患者側から生まれたものであるだけに、特定の価値観を建前として掲げるのは当然。
 法律で「自然死」といえば、「変死」や「事故死」ではない死、と考えるのが普通ですから、その点では、今回の名のほうがベター。

●医師や看護師の多くは、まず、「どっちみち、死ぬ」と見るか、「あとわずかの時間、何をしてあげられるか」と考えるかで、医師や看護師の対応はまったく違うものになると言います。
前者の場合には、ケアの姿勢がおろそかになり、したがって見苦しくなった患者の姿に、まわりの人々の心も萎え、早く終わりにしたいという誘惑が生じますが、後者では、顔を拭き汚れを取り、気管切開部も綺麗にし、静かに、一つの人生の最後の灯が消えていく大切な時間を見守ろうとする思いの中では、呼吸器を外そうという考えなど、微塵も浮かばないものだという。

●今や世を挙げての人工呼吸器への忌避感情というのもマスコミによって作られたイメージによる部分が結構大きい。
 X医師へのインタビュー番組を何本か見ていてふっと気付いたのですが、
そこには、気管切開により人工呼吸器を装着し、結果として胸元から首が後ろへ反り、口をあんぐり開ける形になった、黄褐色の年老いた女性が意識もなく横たわっている姿が、あたかもドラマの主題曲のように、合間、合間でアップで映し出される。
この高齢の婦人が、なぜ、テレビでこうした姿を、尊厳のないものの象徴のように全国に晒される巡り合わせになったのか、果して撮影を許可した施設は患者家族の許しを得たのか。
これは、人工呼吸器への悪いイメージを社会に醸成するものであり、吸器外しの正当化へと世論を誘導するものではないか。
 人工呼吸器を装着していても、見る者が、なんとか蘇生してほしいと思わず掌を合わでたくなるような、むしろ、人間の生きようとする力に尊厳を感じさせる映像は、いくらでもあるはず。

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