東北大地震以降、地方で生きるということは?

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いま、地方で生きるということ

地方で生きるとは

幸せになりたいというアイデアを手放しさえすれば、どこでも十分に生きてゆけるんじゃないか。むしろそのアイデアによって、がんじがらめに不自由になっているんじゃないかな

これまでのような東京という出来合いのお話に乗らずに、東京であれどこであれ、自分たちの場所を自分たちつくってゆくことが、本当に大事な時代が来ているんじゃないかな。

3月11日の震災以降、東京もある意味、地方みたくなりましたね。虚構だった部分が剥げ落ちたというか。

デザイナーは一人では働けない。アシスタントがいるという話ではなくて、クライアントあっての仕事であり、どんな能力の高いデザイナーもクライアントの器以上の働きをすることはできないということ。

仕事をする人に対する教育より、仕事を出す人たちのための教育の方が重要だし、これから可能性があるんじゃないか

東北の被災地における支援活動でもしばしば感じたことだが、ある専門性やスキルを役立てたいと考えて、それを前面に立てて入ってゆく団体や個人の多くがコミュニケーションに失敗している気がする。

地域活性化と言うけど、それは地元の人たちが自分の街にいかに誇りを持つかということ

公共という言葉の再検討。そして、街や空間に対するかかわりかたのリデザインが、このあと各地で必要になってゆく

歴史を一皮剥くと、その下には想像をこえる日本の貧しさが横たわっていて、今のこの社会の天国っぷりは、束の間の夢のようなものにすぎないんじゃないか?

移民にせよ開拓にせよ、動いていた世代の人たちはやらざるをえないからやっていたと思うんです。移り住むということを。

届く支援物資に「私はあなたと共にいます」とか書いてあるんよ。でもどこにおんねん。どこにもおらんやん。なんでそういうことをのうのうと書いてくるかな。頑張ってくださいとかいつも一緒ですとか。

勇気は出そう!と言われて出るものじゃない。実際にそれをもって動いた人の姿を見た自分の内側から、湧き上がってくるもの

多くの人が田舎には仕事がないと言うけどそんなことはないんだ、と話していた。それは勤め先がない、つまりいわゆる会社のような求人口がないだけの話で、人手が足りなくてできずにいる仕事はもう山ほどあるんだと。

感想

311を通していま、地方で働くことを考えるようになった。東京だけが全てではない。
多様な生き方を提案してくれる一冊。

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