死んだらどうなるの?から名言紹介!

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死んだらどうなるの? (ちくまプリマー新書)

名言

仏陀をはじめ多くの人々が同じような修行を経て同じような認識に達したのは間違いないことだろう。瞑想でも坐禅でも、師匠は科学的な実験をしているのと同じように、弟子の心象をじつに正確に把握している。

荘子はありふれた人情にも疑いの目を向ける。人間が生を喜ぶのが惑いではないと、どうして言えるだろう。逆に、人間が死を憎むのは、幼い頃に故郷を離れたものが故郷に帰ることを忘れるのに似てはいないだろうかと。

お釈迦さまは、現実がつねに観測者と観測されるものとの相互作用によって決定されるできごとであることを熟知していたのだろう。つまり空の認識だが、これはいわば量子論的現実ということでもある。

もしも死を経過してなおも生き残るというできごとを体験したとするなら、それは魂と呼ばれるものだということだ。しかもそれは生きていた人の中に働いていたたましひの全体ではない。

ボーアやシュレディンガーのような量子力学の創始者たちが、西洋の科学と東洋の哲学思想の思想的統一を唱えたのは偶然ではない。東洋的な智の使い方を借りなければ、世界を描写しきれなくなってきたということだ。

我々が生み出す世界像は、じつは太古以来、我々の脳が生みだした意識によって蓄積された諸傾向が実現した結果である。つまり同じ種に属する生き物は現象の全体をだいたい同じように知覚するわけだが、人間の認識には自ずと限界がある。

チベットには「賢すぎる人は要点を見過ごす」という格言があるらしい。またパトゥル・リンポチェというチベット仏教の指導者は論理的な頭脳が重要だと思われがちだが、じつはそれこそが迷いの種なのだと言う。

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