「歴史って暗記科目でしょ?」と思い込んでいる中学生や高校生!!

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中学校の歴史が1冊でしっかりわかる本

PART4▶近代国家のあゆみと国際社会

35.アジア諸国ではどのような変化があったの?

【流れを大つかみ】
①ヨーロッパ諸国がアジアに進出し、領土を持つようになる!
②インド大反乱をおさえたイギリスが、インドを植民地とする!
③アヘン戦争が起こり、イギリスが清に勝利して優位に立つ!

①ヨーロッパはどのようにアジアを侵略したの?

 16世紀から18世紀のヨーロッパの国々は、アジア諸国に対しキリスト教の布教や貿易を行うことを考えていました。しかし、19世紀になると、ヨーロッパ人は世界各地の情報を集めながら、貿易を行うだけではなくアジアで事業を展開するようにもなりました。こうして、ヨーロッパ諸国は、産業革命を達成したことでアジアに対し優位に立ち、強い軍事力をもって相手を従わせ、支配するようになったのです。貿易では、アジアから絹や茶、陶磁器などを輸入し、代わりに自分の国でつくった工業製品を輸出しはじめました。このような動きを最初に見せていたのが、最初に産業革命を起こし、帝国主義の国になっていたイギリスだったのです。
 イギリスは、軍隊を使ってほかの国を自分の国の領土とする植民地政策を進め、インドや中国へ進出していくようになりました。

②イギリスはなぜインドを支配しようとしたの?

 インドでは、イギリスがフランスとの勢力争いに勝ったため、18世紀後半からガンジス川の下流地域を支配するようになりました。東インド会社を設立して積極的な貿易を行っていたイギリスは、機械化によって安く生産された綿織物を大量にインドに輸出し、インドを統治して人口の多いインドで多くの税金を取り、本国に送るようになりました。
 すると、インドの人々は東インド会社に対する不満を爆発させ、インド人兵士が各地で大反乱を起こします。これが1857年に起こったインド大反乱です。イギリスはこれを軍隊で鎮圧し、東インド会社を解散してインドを直接統治するようにしました。そしてインド皇帝を退位させ、イギリス国王を皇帝にしてインドを植民地支配の拠点にしたのです。

③清とイギリスの間で何があったの?

 18世紀の中国では、清が欧米諸国と貿易をしていました。清は自分の国を守るため欧米と貿易する港を1つに制限していました。そのため、イギリスは綿織物などの工業製品が売れず、清との貿易は大きな赤字でした。
 そこで、イギリスは綿織物をインドに輸出し、インドはアヘンを栽培して清に密輸し、清はイギリスに茶を売る三角貿易を行いました。すると、清でアヘンを吸う習慣が広まったため、清が厳しく取り締まりました。そのためイギリスは1840年に清に艦隊を派遣し、攻撃しました(アヘン戦争)。
 この戦争に勝利したイギリスは、1842年に南京条約を結んで清に上海など5つの港を開かせ、香港をゆずってもらった上に賠償金を支払わせました。さらに翌年には、中国でイギリス人が罪を犯しても清の法律では罰せられず、イギリス人の領事が裁判を行う領事裁判権を認めさせ、清への輸出品に独自に関税をかけさせない関税自主権のない、不平等な条約を結ばせました。その後、アメリカやフランスも同じような条約を結んだのです。

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