超訳されたニーチェの言葉からわかりやすいニーチェの名言を紹介!

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超訳 ニーチェの言葉(青箔版)

わかりやすいニーチェの名言

自分を常に切り開いていく姿勢を持つことが、この人生を最高に旅することになるのだ

生理的嫌悪を持っている相手にいくら丁寧に接してもその場で見直してもらえることはない。結局は慇懃無礼な奴だと思われてしまう。誰からも好かれるのが当然だとは思わず普通に接していたほうがよほどいい。

今のこの人生を、もう一度そっくりそのままくり返してもかまわないという生き方をしてみよ

どんなに正しそうに見える意見も主張も、絶えず新陳代謝をくり返し、時代の変化の中で考え直され、つくり直されていかなければいけない。

死ぬのは決まっているのだから、ほがらかにやっていこう。いつかは終わるのだから、全力で向かっていこう

体験しても、あとでよく考察しなかったら、何にもならないのだ。どんな体験をしても、よく噛まずに食べて下痢をくり返すような事になる。つまり、体験から何も学べてないし、何もみにつかないという事

喜ぼう。この人生、もっと喜ぼう。喜び、嬉しがって生きよう

最大のうぬぼれとは何か。愛されたいという要求だ。そこには、自分は愛される価値があるのだという声高な主張がある。そういう人は、自分を他の人々よりも高い場所にいる特別な存在だと思っている。

数学では、最短の道は始点と終点を直接結んだ道だと教えてくれる。

昔の船乗りはこう教えてくれる。「最も都合よく吹いてきた風が、船の帆を膨らませて導かれた航路が最短の道だ」と。

たまには背をかがめ、あるいはできるだけ低くなるようにしゃがんで、草や花、その間を舞う蝶に間近に接したほうがいい。そこには、今までは歩く際に遠く見下ろしていた草花や虫とは別の世界がある。幼い子供が毎日あたりまえのように目にしている世界の姿が広がっている。

本能を動物的なもの、野蛮なものとみなしがちだが、本能は確実にわたしたちの生命を救う働きだけをする。本能は大いなる救済の知性であり、誰にでも備わっているものだ。だから本能こそ知性の頂点に立ち、最も知性的なものだと言えるだろう

平等という概念語を好んで使う人は、二つの欲望のどちらかを隠し持っている。一つは、他の人々を自分のレベルまで引き下げようという欲望だ。もう一つは、自分と他の人々を高いレベルまで引き上げようという欲望だ。

車に轢かれる危険が最も大きいのは、一台目の車をうまくよけた直後だ。同じように、仕事においても日常生活においても、問題やトラブルをうまく処理して安心から気をゆるめたときにこそ、次の危険が迫っている可能性が高い。

すぐれた人々との会話や読書、勉強によって言葉の質と量を増やすことは、自然と自分の考えや心を豊かにすることになるのだ。

人から信じてもらいたければ、言葉で自己を強調するのではなく、行動で示すしかない。しかも、のっぴきならない状況での真摯な行動のみが、人の信に訴えるのだ。

自分の行為は世界に響いている 自分のどんな行為も、他の行為や考え、決断などの誘因になっている、もしくは、大きな影響を与えている。その行為がまったく何にも影響を及ぼしていないことはない。

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