ファシズムは再来するか?〜ドラッカーが見抜いた全体主義の正体とは

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ドラッカー名著集9 「経済人」の終わり

◼️その特徴への誤解

ファシズム全体主義の特徴として、①「残虐性」を指摘するもの、②「ブルジョア資本主義の最後のあがき」であるとする解釈、また③「プロパガンダによる大衆の支持の獲得」を挙げるもの等があるが、いずれも誤りである。
まず、①については、過去のいずれの革命も残虐な面を持っており、ファシズムに特有のものではない。
②については、まずナチスが産業界からの支持が少ないことからして、事実誤認である。
③については、たとえば当時のドイツ国営ラジオ局が、いつも反ナチスの番組を放送していたように、政権掌握の前にファシズム勢力がメディアを支配していたという事実はない。(そもそも、プロパガンダに大衆が操られるならば、民主制度そのものが欠陥品だということにある)

ファシズム全体主義に特有の症状は、以下の三つである。

①ひたすら他を否定・攻撃する

あらゆる革命が、従前のものを否定し、過去との決別を信ずる。しかしファシズム全体主義ではそれが徹底している。反リベラルであると同時に反保守、反宗教で反無神論、反資本主義で反社会主義である。そこに一貫性はない。

②権力の正当化の要求の否定

権力そのものが自らを正当化する。

③「背理ゆえに信ず」

ナチス政権が成立する前のドイツでは、最も狂信的なナチス信奉者でさえ、その公約を疑い、その信条に無関心だった。またナチス党員のほとんどが、反ユダヤ主義を本気にせず、「選挙向けのスローガンに過ぎない」と説明していた。そうした不信と軽侮にも関わらず、大衆はナチスに群がっていった。

◼️台頭の背景

大衆の絶望

大衆は資本主義にも社会主義にも幻滅している。そんな絶望した人々があてにするのは、奇跡や魔法の類である。その結果、ファシズム全体主義が実現不可能な公約を掲げるほど、大衆はそれにすがるという現象が起こる。
独伊両国では、大衆の圧倒的多数がファシズム政権を支持すると同時に、極めて不満であるという。大衆は、まさに不満を持ち、幻滅しているからこそ、ファシズム全体主義への信仰を深めていく。

民主主義の軽視

19世紀の独伊において、大衆の連帯感をもたらしたのは、ブルジョア秩序ではなく、国家統一への熱気だった。民主主義そのものは、国民の情緒的な愛着の対象とはなっておらず、それが20世紀の魔物への対処能力がないと知れるや、死守すべきものではなくなった。他方、英仏やオランダ、スカンジナビア諸国では、国家としての統合がはるか前に実現しており、民主主義の信条が愛着を伴う価値として根付いていた。
民主主義さえ伝統に依存するという事実は、西欧諸国もその伝統から生まれてくる抵抗力を失えば、独伊と同じ問題に直面することを意味する。

◼️新しい秩序の出現

西洋において過去に二度、社会秩序の崩壊が起こっている。これはいずれも、人間観の崩壊に起因していた。13世紀には「宗教人」なる概念の崩壊があり、16世紀には「知性人」なる概念の崩壊があった。
古い秩序が崩壊し、新しい秩序が生まれる転換期には、混沌・恐慌・迫害・全体主義の時代とならざるを得ない。過去の転換期においても、終末が到来し、新しい展開はありえないと考えられた。しかし突然、新しい秩序が現れ、悪夢は消えた。
ファシズム全体主義が席巻する現在は、「経済人」の社会が崩壊するという転換期にある。その後に現れる秩序が、どういうものになるのかは分からない。しかし、新しい社会秩序は必ず到来する。そしてその新しい秩序は、自由と平等を実現しようとすることになる。

感想

1939年に出版されたドラッカーの著作。当時29歳。
ファシズムや全体主義については、世の中に多くの分析や解説があるが、本書で特徴的なのは、時代の転換点という過渡期にあって、絶望した大衆が「魔法の杖」としての全体主義に期待し、すがったという解説だろう。
無力感に打ちひしがれ、途方に暮れ、起こるはずのない奇跡に期待して全体主義に群がる大衆を、ドラッカーは「体に悪いことを知りつつ、夢幻と忘却を求めて麻薬の量を増やす麻薬中毒患者と同じである」と評している。

その公約に一貫性がなくとも、絶望した大衆は、一縷の希望を託す。そこに私は、トランプ政権を連想した。
その公約が信じられなくとも、ほかに選択できる政党がなければ、一票を投ずる。そこに私は、安倍政権を想像した。
全体主義は絶滅した恐竜ではない。条件がそろえば復活する。そのことを痛感させてくれる名著である。

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