不登校の方々の学び舎の軌跡とあり方

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僕は僕でよかったんだ

不登校は戦後間もない頃から表面化されることとなった。その原因として就学率がほぼ100%に上ったことが原因である。戦後間もない時には「不登校」と言う言葉は浸透されず「学校嫌い」と言う言葉で通っていた。やがて「登校拒否」と呼ばれ、やがて「不登校」と言う言葉が使われ出した。なぜ人は「不登校」をするのだろうか、その理由は様々であり、長期的ないじめに遭い、学校に行かなくなってしまったこと、さらに学校の授業がつまらなくて学校に行く価値を見いだせなくなったことと、それぞれに理由がある。但し病気によるものや経済的理由のものは「不登校」とは呼ばず「長期欠席」と呼ばれる。

本書の話しに行くのだが、この不登校の方々が「東京シューレ」と呼ばれるフリースクールができ、不登校児たちはどのような世界を見いだしたのか、そしてどのように不登校の現状と戦ってきたのか、そのことについて綴っている。

第1期「1985-1989 開拓」

「東京シューレ」ができたのは1985年のことである。当時は東京にある小さな雑居ビルの一室で行われた。元々「登校拒否」について考える方々が集まり、自由に勉強できる、もしくは遊べるところを提供するための場所(サロン)として開かれたのが始まりだった。
当時の教育事情は「登校拒否」はもちろんのこと「いじめ」も社会問題化されつつあった時代だった。特に「いじめ」はドラマの題材にもなったほどである。その最中「東京シューレ」が誕生したが、最初は手探りの状態であったものの、様々な活動を行い、不動講の方々の心を癒した。

第2期「1990-1994 発展」

5年間は紆余曲折がありながら、順調に活動を広げることができ、やがて活動そのものも拡大していった。それと同じくして「学校に行かない僕から 学校に行かない君へ」という本を上梓し話題となった。そして活動の中でフリースクールを作る動きも広がりを見せていった。

第3期「1995-1999 冒険」

この頃に教育現場でも「いじめ」や「不登校」が表面化してきた時代だった。その時代の中でも都内各地でシューレを開き、海外へ旅行する、あるいは課外活動に取り組んだ。フリースクールの中で学校の在り方が問われる中、フリースクールにしかない在り方を見出すようになっていきながら、冒険を続けた。

第4期「2000-2004 連携」

不登校の方々が積極的にシューレに参加するようになり、NPO法人として活動を開始するまでになった。国際交流はもちろんのこと、様々なプロジェクトを動かしていくことによって、不登校の方々は生きること、学ぶこと、活動する意味をそれぞれの力で見出していった。もちろん様々なシューレなどのフリースクールと連携する事もまた行ったのだという。

第5期「2005-2011 発信」

この時代になってくるとブログやSNSが誕生し、誰しも情報を発信できるようになった。もちろんシューレをはじめとしたフリースクールも同じことである。シューレは始めに学校を作り、そして不登校児に対する政策を提言するなど「発信」をするようになった。

感想

教育の在り方は変わりつつある。その中で東京シューレが歩んだ約30年間の道は確実に、不登校のためのかけがえのない場として役立てられている。それだけでは無く、学校も作り、そして政策を提言するまでになり、そしてその先にあるものは何か、それは教育の在り方そのものを変える役割を担う所にあるのかもしれない。

僕は僕でよかったんだ

僕は僕でよかったんだ

  • 奥地 圭子,矢倉 久泰

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