昭和の大横綱「大鵬」の品格と強さとは

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横綱大鵬 晩節のかがやき

2014年の九州場所にて、横綱・白鵬が歴代最多タイとなる32回目の優勝を果たした。その一方で、だめ押しや懸賞金の取り方が横綱審議委員会で問題になり「態度が悪い」と批判する声もあった。もっとも「横綱の品格」とはいったい何なのか、大鵬と白鵬とはどのような違いがあるのだろうか、本書は大鵬の相撲時代を振り返りつつ、晩節の潔さと横綱の品格について取り上げる。

第一章「国技再生を託す「新しい風をふきこめ」」

元々相撲が「国技」と呼ばれる所以は初代の両国国技館が作られた1909年にまで遡る。元々「国技館」と名づけられたのは板垣退助が委員長とする「命名委員会」によって命名された物だが、さらに起源を辿っていくと、開館式にて「相撲節は国技である。」と言われたことから始まった。そのため「相撲=国技」というイメージが定着して行った。

さて本書の話であるが、大鵬が活躍した時代と現在の横綱の現状について著者自身が大鵬こと納谷幸喜氏の取材を通して考察を行っている。

第二章「奇跡の横綱」

「奇跡」と名づけられた理由は単純に横綱になったのが奇跡では無く、納谷氏が戦時中、奇跡の生還を果たしたことからこう名づけられている。ちょうど納谷氏が生まれたのは1940年、ちょうど大東亜戦争が起こる少し前の事であった。そのため物心のついた時から既に戦争の真っ只中にあったため、幼い頃には生死の狭間にいるような体験をしていたこともあった。それから力士・関取への道へと歩み始め、やがて横綱にまで上り詰めた。ちなみに大鵬という四股名が名づけられたのは十両になってからの事であり、元々荘子から取られたものだった。

第三章「横綱の品格」

大鵬が横綱の頃には「柏鵬(はくほう)時代」ほど、同じ横綱だった柏戸とのライバル対決が世間を沸かせ、さらには「巨人、大鵬、卵焼き」と呼ばれる程の強さを見せつけた。ちなみに最初にも紹介した白鵬の由来は前述の「柏鵬時代」から名づけられたという。

白鵬と大鵬は同じ数の優勝をしてきたのだが、白鵬の場合は無双の強さを持っていたこともあるのだが、大鵬の場合は無双の強さの他に柏戸というライバルの存在があった事も挙げられる。

また両者には批判も耐えなかったところも共通しているが、白鵬の場合はだめ押しや注文相撲がある事で批判され、大鵬の場合は「型のない相撲」で批判されることがあった。もう一つ大鵬に関連してある騒ぎがあった、2011年の初頭に大騒ぎとなった「八百長騒ぎ」だった。昭和38年の秋場所千秋楽の柏戸との一番、この時は全勝同士の一番で、柏戸が大鵬に勝利し、優勝を果たした時である。この時にあるスポーツ誌で「八百長相撲」とコラムで揶揄したことだった。ちなみに書いたのは、現在衆議院議員最年長の方である。

第四章「横綱の葛藤」

しかし栄枯盛衰という言葉が必ず存在するもの、身体の衰えが出てき始め、さらにはケガや肺炎により場所を休場するという事も出てきた。それ故に自身の限界と葛藤を感じ始め、やがて引退をした。

第五章「大鵬から納谷幸喜へ 晩節のかがやき」

引退後は「大鵬部屋」を設立し多くの力士を育成に励んだが、1977年に脳梗塞で倒れてから、亡くなるまで脳梗塞に悩まされた。それでも親方として弟子を育て上げ、停年退職後相撲博物館の館長として住もう文化の普及に努めた。そして2013年1月に72歳の人生の幕を下ろした。

感想


「昭和の大横綱」として一時代を築いた大鵬、その大鵬が通っていった道を今、白鵬が辿っている。大鵬の持っている記録を塗り替え、そして最多優勝の記録まで塗り替える勢いでいる。しかし大鵬と白鵬、同じ「鵬」の時を持ち、大鵬の時代を彩った所から名づけられた白鵬は、批判と称賛に晒されながら今日も相撲を取っている、その姿を天国にいる大鵬はどう見ているのだろうか。

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