「昔は良かった」と人は言うが、果たして昔は良かったのか?

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「昔はよかった」と言うけれど: 戦前のマナー・モラルから考える

「昔はよかった」といいう言葉は今の現状を憂う、あるいは現在に生きる世代を批判する際に比較対象として用いられる常套句として扱われるのだが、よく考えてみると「本当に昔は美しかったのか?」という疑問符が生まれてしまう。それに「昔」についてどれくらい前のことを表すのか、ということも考えると評価基準も大いに変わってくる。

本書は「昔」の基軸を戦前にしている。戦前は「修身」の授業もあれば、「教育勅語」という教育方針も存在したため、モラルが非常に高く、台湾、朝鮮でも同じ教育を受けて、治安が驚異的によくなったという史実が存在する。本書は戦前におけるモラルの欠如には何があったのか、そのことについて論じている。

第1章「駅や車内は傍若無人の見本市」

駅や電車内におけるモラルの欠如は今でもベビーカーもあれば、痴漢、さらには乗客同士のトラブルから、深夜に多いのだが、客席や床の汚損など枚挙に暇がない。これは現在にも通じるところがあるのだが、乗客同士のトラブルや客席・床の汚損などは現在だけではなく戦前でも新聞などで報道されていた。

第2章「公共の秩序を乱す人々」

よく道を歩くと見かけるのがゴミ・タバコのポイ捨てやタンつば吐きといったものである。もちろん道端もそうであるが、河川敷、あるいは海岸に出てみるとそういう人を見かけることがたまにある。実際にこれは現在の事を示しているのだが、戦前には全くなかったと主張する方もいる。

第3章「誇りなき職業人たちの犯罪」

最近でも起業の不祥事が後を絶たない。不祥事というと虚偽記載であったり、会社のカネの横領だったり、挙げるだけでも枚挙に暇がないような状況にあるのだが、戦前でもそういうことが会ったのかと言うと、新聞では積荷・貨物の抜き取りもあれば、米のダフ屋と呼ばれる「不正枡(ふせいます)」と呼ばれる行為まであった。

第4章「繰り返された児童虐待」

児童虐待事件が今日でも起こっているのだが、現在のみならず戦前でも児童虐待が起こっており、新聞でも「鬼の父」「鬼のような母」というようなくだりで取り上げられていた。しかも虐待の内容も「混紡で何発も殴る」「お灸を据える」と行った事がある。特に印象的だったのが、

「甚だしき夜の如きは両人の太紐(ふとひも)にて縛り上げ、近所へ叫び声が聞えない様に手拭(てぬぐい)を口に捻(ね)じ込んで身体(からだ)の各所にローソクの火をつけたり、下腹部一面に灸をすえた上、手の甲に炭火をのせて焼きつくのを眺めたり」(po.137-138より)]

という身の毛もよだつような虐待も戦前に存在している。

第5章「すでに失われていた敬老の美風」

第4章では児童虐待を取り上げたが同じように老人虐待も戦前には起こっていた。老人虐待というとビートたけしがコンビを組んでいたツービートが漫才のネタとして取り上げたこともあった(参考動画)。老人虐待は現在も介護施設で起こっており、時々ニュースにて報道されるのだが、これは戦前だけではなく、高度経済成長期の時にもあったと言える。

第6章「甘かったしつけと道徳教育」

子どもや高齢者の虐待もあったが、子どもへのしつけの甘さによる悪質なイタズラも横行していただけでは無く、他人の子を叱らない大人が増えたという報道まで戦前には存在した。「少年犯罪」についても戦前の頃には存在しており、強姦殺人・強盗殺人をはじめとした猟奇的な殺人事件も戦前には起こっていた(「少年犯罪データベース」より)。

感想

戦前からモラルの低下は起こっており、それについて嘆く報道もあった。当然今でも同じような報道が存在しているということは、私たちは歴史から何も学んでいない。学んでいないからでこそ、歴史は繰り返されているという何よりも証拠と言える。ではそういった事を道徳教育、修身教育で撲滅できるかというと、低減はすれど、人それぞれ性格や嗜好がことなるのだから、撲滅は不可能と良いざるを得ない。

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