ドラッカーによる高齢社会の分析

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見えざる革命―来たるべき高齢化社会の衝撃 (1976年)

日本語版は1976年の出版。副題に「来るべき高齢化社会の衝撃」とあるように、当時すでに明らかになっていた人口構造の変化から、今後の社会の姿を予測している。
すべてを消化しきれてはいない。わかった部分だけ抜粋・要約する。

◼︎高齢社会の姿

不足するもの

高齢社会の進展によって、人的資源が不足する。加えて、それよりも資本の方が、はるかに供給不足となる。
労働の生産性だけでなく、資本の生産性の向上も課題となる。

何歳でも働ける社会を

高齢層の増加によって、社会保障保険や年金基金への拠出が増大する。就業者にとって重い負担となるこれらの支出を、いかに軽減するかが重要になる。
そのためには、働ける高年者には働いてもらうことである。
年齢を基準とした強制退職(定年退職)は、悪法であり、時代錯誤である。

競争による解決

アメリカの年金制度は成功しているが、これを担っているのは公的機関ではなく、民間の組織である。このことは、多元的な民間組織の活動が、政府の活動よりもはるかに有効であることを示す。
こうした「競争と選択による問題解決」は、他の分野でも生かしていくことができる。
たとえば教育では、公立と私立の両方の学校が存在して然るべきだ。また、すべての学校で共通のカリキュラムを用いることや、すべての子に適用できる教育哲学があるとする考えは、もはや過去のものである。競争と選択によって、真の学びを実現しうる。

日本の課題

戦後日本の経済発展の原動力となった生産性の向上は、主に、就業者人口の若返りによるものだった。ベビーブームの結果、低賃金で働く若年被用者の割合が増え、企業の利益を押し上げたのだ。しかし、これからは逆の現象が起こる。被用者の高齢化により、同じ賃金で生産できる財やサービスの量は少なくなっていく。このことが、日本にとって大きな課題となる。

◼︎インフレか失業か

年金基金社会主義において、失業にかわり、インフレがもっとも危険な現代の病となった。有権者(高年者中心)はインフレを恐れるあまり、失業を許容するということがありうる。
(この二項対立についてはよく分からない。失業を許容すれば、なぜインフレを抑制できるのだろう?)

◼︎余談

政治は妥協

政治のプロセスにおいて重要なことは、意思決定ではなく合意であり、廃止ではなく継続である。
しかもこの性向は、民主政治だけでなく、独裁政治においても共通である。たとえばナチスドイツは、戦時体制下の英米に比べ、圧力、対議会工作、間違った妥協に屈することが、はるかに多かった。
今後、公的機関にも生産性の向上が求められるようになる。しかしながら、公的機関は過去の政治プロセスも維持せざるを得ない。そこで懸念されるのが、正しい決定ではなく、間違った妥協である。たとえば、社会のニーズに従わず、世論に屈してしまうことである。

成長の10年

過去の250年を見ると、50年から60年ごとに、先進国の起業家や政治家や経済学者が、永遠に経済成長が続くと考えたような「成長の10年」が到来している。この10年は、つねに不況によって終わり、ゼロ成長に関するさまざまな予言が繰り返される。
1960年代の経済成長も、この再来にほかならなかった。
(おそるべき指摘である。1960年の50〜60年後といえば、まさにアメリカの住宅バブルからリーマン・ショックが起こった時期にあたるではないか。そして現在、ゼロ成長に関するさまざまな予測が行われている点まで同じである。過去を分析すれば、こうまで未来がわかるのか?)

感想

一読して、戸惑いを禁じ得ない。というのは、本書で繰り返し説かれている「年金基金社会主義」なる状況が、今日のアメリカでも通用する社会観なのかどうか分からなかったからだ。また、高年層が一大政治勢力となっていくだろう、という予測もされているが、これもアメリカではどうなのか。アメリカには移民が流入した結果、先進国の中でも若年層が多い。
この二点は実現したのか。また現在の状況が異なるとすれば、どこで変わったのか。非常に気になる。
むしろ、この二点は、現在の日本にこそ当てはまるように思う。年金基金が企業を所有するようになり、その結果、新しい産業には投資が回りにくい。また、シルバー民主主義という言葉に言い表わされるように、選挙の投票率に占める割合は高齢者ほど高い。
疑問点も多くスッキリしない感が残るが、問題意識は大いに刺激された一冊だった。

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