坂口安吾「白痴」

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白痴 [kindle版]

空襲という極限状況の中で見いだした人間の尊厳

伊沢は、安アパートと小工場に囲まれたとある一角の、仕立て屋の離れを借りて暮らしている。その一角には、とにかくろくな人間が住んでいなかった。相手の知れない子供を孕んだ女、新しい情夫を物色中のタバコ屋の婆さん、夫婦の関係を結んだ兄妹・・・。近所のアパートの部屋の多くは妾か淫売が占めており、中には満州浪人の殺し屋などというのも暮らしている。井沢は近所の住人たちがこんなふうになってしまったのも、すべて戦争のせいだろうと考えるが、大家によると、戦争前から何も変わっていないという。

そんな中でも隣の家の一家は極め付きだ。資産家の主人は狂人であり、その妻はいわゆる「白痴」である。主人の母親だけはかろうじて正気のようだが、極度のヒステリー性で、始終鳥類のような声で喚き散らしていた。

伊沢は文化映画の演出家という仕事をしている。しかし彼は新聞記者だの文化映画の演出家だのといった職業ほど賤しいものはないと考えていた。彼らの多くは時流に乗って体制に迎合することと、アルコールを獲得することくらいしか能がない。自然、伊沢はそんな職場から孤立し周囲から疎まれる存在となっていた。

ある晩、伊沢が職場から遅く帰ると、驚くことに隣家の女房が勝手に部屋に入り込んでいた。恐らく家で叱られでもして逃げ込んできたのだろうと考えた伊沢は、仕方なく彼女を泊めてやることにする。気を遣って蒲団を別々に敷くが、女はなぜか蒲団を飛び出して押入れに入ってしまう。困った伊沢が訳を尋ねると、女は伊沢から何かされるのを恐れたのではなくて、伊沢から何もされないことを悲観していたのだった。仕方なく伊沢は一晩中女の髪の毛を撫でてやる。

次の日から伊沢の別な生活がはじまった。だが、それは一つの家に女の肉体がふえたということでしかなかった。女は米を炊くことも味噌汁を作ることも知らず、ただ伊沢を待ちもうけている肉体であるにすぎなかった。伊沢は女の理知や抑制のない動物的な表情に嫌悪を覚え、戦争が彼女を殺してくれることを願ったりもする。

四月十五日のことであった。その日、遠出から帰った伊沢は疲れて眠ってしまうが、ふと目が覚めると空襲警報が鳴っている。外を見れば、大家の仕立て屋夫婦が荷物をまとめて逃げ出す準備をしており、伊沢にも早く避難するように言う。しかし女を隠している伊沢は避難をためらう。

やがて米機の激しい爆撃がはじまり、伊沢はようやく女を連れて逃げだす決意をする。火の中を逃れて十字路へ来ると、そこからが大変な混雑で、火の手の遠い方へと逃れようとする群衆が犇きあっていて前に進めない。そこで伊沢は賭けに出る。群衆が向かおうとしている方向には空地も畑もない。しかし、もう一方の道は火の手こそ近いが、その先には小川もあれば畑もある。

伊沢はフラフラと群集の方へ行こうとする女を抱き寄せ、勇気を出して自分についてくるように言いきかせると、女はごくんと頷く。それは女が初めて示す人間らしい感情であり、伊沢はそのいじらしさに「逆上」しそうなほど感動する。

こうして二人は火の中を突破し、無事に麦畑まで辿り着くことができたのだった。疲れきった女は眠くなったといい、その場で眠りこんでしまう。

伊沢はそんな女の寝姿をまるで豚のようだと思う。女をそのまま捨ててしまおうかとも考える。しかし、結局は女を連れて別の場所で暮らすつもりであることを暗示させて小説は終わる。

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