■集団的自衛権
・1972年政府見解
長沼ナイキ地裁判決(1973年)の前年に出されたというポイント
「わが国に対する急迫、不正の侵害に対処する場合に限られるのであって、したがって他国に加えられた~いわゆる集団的自衛権の行使は、憲法上許されないと言わざるを得ない」と明記しているため、集団的自衛権を認めていないのは明らか
・安倍政権の見解は、上記見解の「修辞的部分のみ」を引用し、結論については真逆にしている
・高村副総裁の見解
血が流れる可能性、戦争に巻き込まれる可能性と経済的利益を比較衡量するという見解を報道番組で述べる
→人の命を経済的利益と比較衡量するのは憲法上許されない
・歴代内閣法制局長官の見解から見た安倍政権の暴挙
「集団的自衛権行使容認には憲法改正が必要」→閣議決定による覆しという狼藉
「自衛隊は合憲である、しかし必然的な結果といいますか、同じ理由によって集団的自衛権は認められない」→都合のいいところだけつまみ食い
こうした歴代長官の発言を過去の話として、一顧だにしないことも憲政上問題が大きい
自衛隊との関係の詳説
集団的自衛権の行使に当たる、当たらないではなく、わが国では「必要最小限度の実力の行使か」否かが基準となるはずである
∵集団的自衛権は国際法上の概念であり、国内法である憲法の議論の主軸足りえない(私見による補足:憲法上は、集団的自衛権という用語はなく、単に9条があり、軍隊に関する条項が一切ないだけ。従って国際法上主権国一般に認められるか否かの議論と、日本の憲法上認められるか否かの議論を混同させるのは間違い)
自衛ではなく、「他衛」である集団的自衛権の行使はできない
→政府見解、内閣法制局見解は常に質的概念として説明してきたのであり、その内容を解釈するにあたり量的な概念(集団的自衛権だからだめということではなく、程度問題である)として説明するのはすり替え
憲法議論を中心とした説明でありながら、立法事実的な部分についても詳しい説明がある。アマゾンの書評では賛否両論のような感じになっているが、批判の多くは枝葉末節、重箱の隅をつつくような曲学阿世のレベルであり、憲法上の議論のレベルでは批判されるような見解は明確に出ていない(現役の弁護士(笑)である高村氏にいわせると米国が判決に介入した砂川判決の理論の方がはるかに優っているらしいが、どう優っているのか、という説明はない)。なお、安保法制懇は長年集団的自衛権の行使が憲法上許されない根拠は明確に示されてこなかったと宣っているが、本文献では、明確に当時の法制局長官の発言等を引用して、明確な根拠が示されていることも明らかにしている。