中島敦「李陵」

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山月記・李陵 他九篇 (岩波文庫) [kindle版]

漢の武帝時代に生きた二人の傑人の壮絶な物語

漢の武帝の時代である。北方に勢力を張っていた騎馬民族の匈奴は、秋になると決まって漢の北辺に侵入し、略奪を繰り返してきた。そこで天漢2年の夏、武帝は匈奴討伐のため軍を北方へ向かわせる。武帝はその際、輸送隊の指揮を李陵に命じるが、名将軍だった祖父をもつ李陵にとって、それはあまりに情けなく耐え難い任務であった。そこで李陵は、武帝に別働隊を率いて側面から匈奴軍を討って出たい旨願い出る。武帝はこの願いを聞き入れ、李陵はわずか五千の兵とともに、敵軍の待つ北方へと発ったのである。

李陵率いる漢軍は、数で圧倒的な不利に立たされながらも、すぐれた戦術により、匈奴の襲撃を幾度にもわたり撃退する。しかし、味方の裏切りにあい、最後は敵の総攻撃に敗れて李陵は無念にも敵の捕虜となってしまう。

李陵が捕虜になったことを知ると、武帝は激怒し、大臣たちを集めて李陵の処置を諮った。武帝は絶対的な独裁者だったため、当然、逆らう者はいない。とりまき連中は寄ってたかって李陵を非難した。そんな中、ただ一人、堂々と李陵の弁護をする者があった。男の名は司馬遷。有名な「史記」の著者である。

司馬遷の向こう見ずな行動は、武帝の逆鱗にふれ、彼は宮刑に処せられる。宮刑とは、中国で長い間行われていた、男性の性器を切除してしまう刑罰である。

このあまりに屈辱的な刑に司馬遷は痛憤と煩悶の日々を過ごす。彼は自殺を考えるが、史記の完成という、自らに宿命づけられた仕事のために死ぬことができない。再び筆をとった司馬遷は、悪霊にでもとり憑かれたように、ひたすら仕事に没頭する。

一方、捕虜となった李陵は、匈奴の王、単于から思いのほか丁重な扱いを受けていた。李陵が軍事上の協力を拒否しても、敬意をもって遇するその態度は変わらない。さらに単于の息子左賢王との間には友情すら芽生えてしまう。

やがて李陵は国に残した家族があらぬ讒謗により皆殺しにされたことを知る。激しい憤怒を覚えた李陵は、これを機に軍略に進んで協力するようになる。喜んだ単于は娘を娶らせ、李陵は次第に匈奴の人となっていく。やがて単于は死ぬが、新しい単于となったのは李陵と親しかった左賢王であった。

ある時、李陵は単于の依頼を受け、蘇武という男に会いに行く。蘇武は李陵の旧友で、李陵と同じく匈奴の捕虜となったが、最後まで漢への忠誠を貫いて降伏を拒み、北海のほとりに追いやられて飢えを凌ぎつつ孤独に暮らしていたのである。李陵は蘇武との再会に感動するが、今なお祖国への忠誠を貫き通している蘇武の生き方に接し、自分は裏切り者だという痛切な負い目を感じる。

その数年後、武帝が死に、漢からは李陵を呼び戻すための使者が送られてくる。それに対し李陵は首を横に振り、「丈夫ふたたび辱めらるるあたわず」と拒絶する。その一方で、このまま人知れず北方に窮死すると思われた蘇武は、偶然にも漢に帰れることとなる。李陵は蘇武の立派な愛国心が天に報われたことを知り、いたく動揺する。そして蘇武を送る宴の席で、痛切な詩を詠み涙する。

さて、こうした一方で、司馬遷は史記の執筆に励んでいた。そしてついに史記30巻、52万6500字を完成させる。己の仕事をなしとげた司馬遷は、その後すっかり蛻の殻のようになってしまい、李陵への使者が都に戻る頃には既にこの世の人ではなくなっていたのである。

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