伊藤左千夫「野菊の墓」

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野菊の墓 [kindle版]

無垢な魂の流した涙の記録

旧制の小学校を卒業したばかりで15歳になる斉藤政夫と、その従姉で2つ年上の戸村民子とは、たいへんに仲がよかった。彼らはいつも二人で遊んでいた。

政夫の家は矢切の渡しを西に見下ろす岡の上にあったが、この家の主婦である政夫の母親が病床にあり、その看病や家事の手伝いのために民子は政夫の家にきていたのだ。その民子が年齢の近い政夫と親しくなるのは、それほど不思議なことでも不自然なことでもなかった。

ところが、いつしか矢切村では二人の仲についてよくない噂が流れるようになった。当の政夫と民子はただ無邪気に二人で遊んでいただけであったが、村の大人たちはそうは見なかった。二人の仲は不純なものに違いないと見做したのである。しかも、それは政夫の家の大人たちも同じであった。

そうした事情を受けて、二人のことを心配する政夫の母は、村で流れている噂のことを二人に教えるとともに、もう少し注意を払うようにと言い渡す。だが、これはかえって政夫に要らぬ気持ちを起こさせただけであった。母の小言を聞いた後、政夫は民子を異性として意識するようになってしまったのだ。

やがて政夫は町の中学校に通うようになった。これは、政夫を民子から引き離すために周囲の大人たちが決めたことであった。中学校に入学すれば政夫は町で暮らすことになり、盆や正月にしか村には帰ってこれなくなる。

政夫が町で学業に忙しくしている間に、大人たちは民子を嫁にやってしまう。民子自身には政夫以外の男に嫁ぐ気はなかったのだが、政夫の母が絶対に政夫の嫁にはしないと言って無理に承諾させたのであった。正夫が民子の結婚を知ったのは、それからしばらく経った後のことであった。

その後、他家に嫁いだ民子は流産が原因で重体に陥る。電報で急を告げられた政夫が帰郷したとき、民子はすでに息を引き取っていた。政夫の家族も、民子の家族も、民子が死んだ後、初めて政夫と民子とが純粋に愛し合っていたことを知った。そして、泣きながら政夫に詫びるのであった。

民子の墓の周囲には、一面に野菊が植えられた。生前の民子は野菊の花が好きだった。その野菊を政夫が自分の手で植えたのである。そして、政夫は決然として町の学校へと戻って行ったのであった。

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