意識とは,閾値を超えた情報量を統合•処理すれば,自ずと立ち上がるものなのだろうか?

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人間と機械のあいだ 心はどこにあるのか

頭のなかに自分の声が響いているようなアンドロイドは作れるか?

実世界を,固定された時間と自分という時計に分解することが意識を持つということである.
現実世界に流れ続ける時間と,それに伴う膨大な情報の流れを脳内モデルとして固定するという機能こそが意識や記憶の役割ではないか.

言葉が先にある.話をするから意識が生まれる.
心は存在か,現象か.現象なのではないか.

互いに心を感じあうことで,自分にも同様の心があると信じることが,自分の心というものの正体かもしれない.

心というものは非常に猥雑なものではないか.なにかきれいな生命の原理があるのではなくて
非常にぐちゃぐちゃなノウハウの寄せ集めみたいなものが心の原理になるのではないか.

どういうランダムの階層があるのかという問いを明らかにしてきたのが,今までの非線形科学のすべてなのかもしれない.
生命とは何か,とは,そのランダムさの階層性を見ていくことではないか.

実際に選ばれて起こっている運動の背後に,パラレルに走っている,見られなかった運動,
あり得たかもしれない運動というのが,...中略...生命性としては重用
予測不可能性が生命っぽさ

最初に作るものはものすごく複雑なものになるしかなくて,そこからミニマルにしていくことしかできないのではないですか.
簡単なもので生命をつくるのはものすごく難しい

生命の定義のなかには,人間が観察し,生命と判断する,ということがあるのではないか.

心は,意識は,身体的なところから外に染み出しているのかもしれない.
2つ以上の脳が存在するところから考えなくては,意識とは何か,という問いには答えられないと思っています.

いずれ生物学的な進化は技術の進化にとって代わられるはずです.
シンギュラリティにより,20年前の人の価値観と現在の人の価値観がまるで不連続になる.

生命は観測者側の問題なのか,それとも内部に生命となる最小要素があるのか,という質問について考える.
例えばザリガニを観察していて,その観察の仕方とか,記述の仕方のなかに,
実際には存在しない変数を持ってこないといけないとしよう.その用意した変数こそが生命を語るための言葉であり,
生命そのものであるということである.観測者の問題と内部の構造の問題は2項対立的ではないと思うのだ.

感想

2人の技術者による,アンドロイド談話のかたちをとるが
内容は深いものがあり興味深い.
最先端で研究している研究者の興味のあり方が分かる良書.

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