こうなりたいとも、こうなりたくないとも思う

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あなたの人生の意味――先人に学ぶ「惜しまれる生き方」

 謙虚な態度は、私たちの知性にとっても重要なものである。心理学者のダニエル・カーネマンも言っている通り、人間は自分の無知についてはどこまでも無知である。謙虚になれば自分には知らないことがたくさんあることを常に意識するし、自分の考えが歪んでいるかもしれない、誤っているかもしれない、と常に疑うことになる。
 この姿勢が人間に知恵をもたらす。モンテーニュも「人間は他人の知識を借りて博識になることはできるが、他人の知恵を借りても賢明にはなれない」と言っている。なぜなら知恵というのは、情報の集まりではないから、自分が何を知らないかをよく知り、自分の無知、限界、不確実さにうまく対処できる人を、賢い人と呼ぶ。
 人間には必ず偏見があり、自分を過信しやすいという性質もある。だが賢い人は少なくともある程度それを克服することができる。謙虚で懸命な人は自分の事を遠くから俯瞰で眺めることができる。若い時期は誰でも 自分のことばかり仔細に観察してしまいがちだが、賢い人は次第に、その周囲の世界の全体像を見るようになっていく。全体像の中に自分を置き、その長所、短所を知る。また、自分が世界とどう関係しているか、また自分がいかに世界に依存しているかも認識するようになる。長い歴史の中での自分の役割も考え始める 。

第2章 天職-フランシス・パーキンズ

 天職を持つ人は費用対効果分析の結果、その仕事に取り組むわけではない。公民権運動や難病の治療に身をささげるのも、人道組織の運営や大作小説の執筆に全力を傾けるのも、それで得をするからではない。実利よりもはるかに深く、崇高な理由で仕事に取り組む。損得で仕事をした場合、行く手に困難が立ちはだかれば、その仕事を辞めてしまうはずだ。ところが、転職に取り組む人は困難があるほどその仕事に強く執着する。シュヴァイツァーはこんなことを書いている。「何か善を成そうと考えるのであれば、他人に勧められるままに、次々に仕事を変えるようなことがあってはならない。目の前に良さそうな仕事があっても、自分のすべきことを受け入れ、黙ってそれを続けるべきだ。障害があった時にはそれに打ち克つため、より強い力が湧くはずである」
 この「天職」という考え方は現代の社会に広く行き渡っている考え方とは相容れない。そのことは言っておくべきだろう。天職は個人の願望、必要を満たすものではない。現代のエコノミストたちが考えるような職業とは違う。天職は、幸福を追求する仕事ではないのでもし幸福という言葉が「争いや苦しみを避け、快適に気分よく暮らすこと」という意味なのであれば、天職は全くそれを目指すものではない。天職はまだ人がいてその人のために仕事があるという関係にはならない。まず仕事があり、取り組む人はその仕事が目的を達成するための道具となる。取り組む人が仕事に自分を合わせることになる。例えば、作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィンにとってはソ連の圧政と戦うということが天職となり、自ら目的達成のための道具となったソルジェニーツィン自身はこう表現している。「私が何を考えようと何をしようとそれは私自身のためではない。そう思うと私は幸せだったし安心した。私は汚れた権力を打ち倒すために研ぎ澄まされる一本の剣にすぎないのだ。権力を切り裂きバラバラにすることさえできればそれが無上の喜びとなる一本の剣だ。私は神に懇願する。どうかわたしを体から離さないで欲しいと。権力を攻撃する限り私は決して折れることはないのだから!」

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