ほとばしる生命力のための信仰

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空海の思想について (講談社学術文庫)

密教の性質

  • 他の仏教は釈迦仏の教えだが、密教は大日如来の教えである。

  • 大日如来とは、釈迦如来のように一時的に地上に出現した仏ではなく、宇宙のはじめから存在している永遠不滅の仏性、法身仏である。

  • 釈迦という人物は、永遠不滅なる仏性の一つの現われである応化身に過ぎず、法身こそがその根源である。

  • 釈迦の説いた仏教は世間にわかりやすく広めるための方便だが、大日如来の説法はそもそも他人に理解しやすく説明することを想定しておらず、一人ひとりが己と向き合って悟りの境地に達するための思想や方法論を説いている。

  • それこそが曲解や脚色のない本物の仏教であり、それ以外の仏教は発展段階の低いものである。

否定精神の否定

  • 現世を欲望渦巻く苦しみと無常の世界と見る仏教は、欲望を捨て去ってそのような世界から脱却し、清らかな浄土を求めることを説く。

  • このような教えでは、仏教を信仰する者は釈迦と同じように家も暮らしも捨てて俗世間から離れて生きなければならない。

  • 仏教は物事を肯定せずに否定ばかりする、否定精神のかたまりである。

  • 例えば禅の仏教美術である水墨画は、無我無欲を目指す宗教である以上、白黒の簡素なものにしかなり得ない。

  • それに対して密教美術の曼荼羅の鮮やかな色使いは、不要なものを極限まで省く否定の精神からは決して生まれない。

肯定の宗教

  • 密教は、否定ではなく肯定の思想である。

  • 密教は無我無欲を説いたりはせず、むしろそれを大我大欲として肯定する。

  • 人間を含めたあらゆる存在は、決して我も欲も無い状態にはなり得ず、実際はそれらこそが生命活動の源泉である。

  • それらを禁ずるということは、いたずらに生命エネルギーを枯渇させることになる。

  • 世界のあらゆるものは地水火風空の五つの物質的原理に精神的原理が加わった六大から出来ており、その世界そのものの中心に大日如来がいる。

  • すなわち我々一人ひとりが既に大日如来を内包しているのであり、その我々の内側から湧き出る我や欲は決して否定すべき卑しいものではない。

  • 己のうちにある我や欲を肯定し、生命の源泉を礼賛することこそ重要である。

  • しかし決してそれに支配されることなく己と向き合うことが大事で、そのための行が密教である。

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