「お金のヒミツと世の中のカラクリ」とは?貨幣経済と経済合理的に生きることが必要な理由

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得する生活―お金持ちになる人の考え方

貨幣経済とは

・お金は、神様みたいなものである。1万円札に価値があるのは、私たちがそれに1万円の価値があると信じているからに過ぎない。ただの紙切れに1万円の価値があるというのは、一種の幻想である。どうせデタラメなのだから、石ころでも、貝殻でも構わない。大事なのは貨幣の材質でなく、「実態のないものに価値を認める信仰心」である。

・貨幣経済とは貨幣を神様とあがめる一種の宗教である。神の姿をこの目で見ることができないように、我々は貨幣の実態を証明することはできない。理屈の上では、1万円札は日本国の資産を担保に発行されている。だが、これは新興宗教の教祖が「私か神であることは、神である私が知っている」と言っているようなものである。根拠は全くないが、信じるか信じないかは、その人の勝手である。
 

・国民が「紙切れは所詮、紙切れに過ぎない」ということに気付いたら、貨幣制度は破綻する。幻想が無くなれば、1万円札もただの紙切れと変わらない。貨幣が神なら、貨幣経済は一種の世界宗教といえる。地球上には国ごとに異なる神がいて、その神々は一定の比率で交換ができる。キリスト教徒もイスラム教徒も仏教徒も、貨幣を神とあがめる世界宗教から自由になることはできない。私たちがこの世界で生きるには、好むと好まざるとに関わらず、この宗教の信者になるしかない。
 

・このように貨幣制度は所詮、共同幻想である。貨幣にとらわれるのは、夢や幻にとらわれるのと同じことである。人が生まれ、成長し、老い、死んでいく事実に比べれば、貨幣の多寡など何ほどの意味もない。

なぜ経済合理的に生きることが必要なのか

・一方で私たちの人生が、この夢や幻によって形作られていることも事実である。人間は、幻想から現実を想像できる生き物である。神権によって成立した社会では、人の運命は気まぐれな神託に翻弄される。同じように、貨幣経済のもとでは、人は貨幣という幻想に翻弄されながら生きていくしかない。人生を豊かに生きるのに、お金はさほど重要ではない。無ければ困るが、所有する金の量に比例して幸福が増えるわけではない。1億の金が2億円になっても、人生が2倍幸せになるわけではない。

・経済学的に表現すれば「生きる」ということは与えられた有限の時間の中で、自らの人的資本を最大限に活かし、より多くの効用を獲得することである。お金はそのための手段に過ぎない。それ以上でも以下でもない。私たちが生きる自由な社会では、法に反しない限り、どんな夢を見ることも許されている。その夢を実現するために一定量の金が必要なら、短期間に効率的に金を獲得すれば人生の可能性は広がる。

・しかし金はそれ自体では何も生み出さない。億万長者になっても、失われた時間を取り戻すことはできない。それでもいたずらに金を増やし、老いて死んでいくだけの人生は幸せと言えるだろうか。すべての幸福を金であがなうことはできない。これは紛れもない真実である。だからこそ、ムダなことに貴重な時間を費やす余裕はない。経済合理的に生きるべきである。

・資本王義を1種のゲームと考えれば、仕掛けは貨幣の動きだ。この動きを観察し、最短距離でより多くの貨幣を獲得する行動を「経済合理的な行動」という。
 例えば、私(著者)は2003年の春、ビジネスクラスでハワイ・マウイ島に渡航し、高級リゾートで1週間を過ごした。費用はレンタカーや食費を別にすれば、宿泊費、交通費込みでたった3万円であった。種明かしをすれば、航空会社のマイレージを使い、リゾート会員権を利用したのである。何も特別なことをしたわけではない。経済合理的に行動しただけである。人間は完全な生き物ではない。だから人間の作る市場には必ず歪みが起こる。その歪みを他人よりいち早く見つけ、利用することさえできれば、誰でも同じことができる。

感想

 お金の得する使い方について考える書籍です。本書ではクレジットカードやマイレージ、リゾート会員権などの事例をもとに「お金の本質」に迫ります。著者曰く、「社会は不完全な人間が作るものであり、必ずどこかに歪みが起こる、その歪みが正される前に、誰よりも早くその歪みを見つけることができれば、人よりちょっと得ができる」、という主張を、お金の道具の活用法を紹介しながら解説しています。

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