失敗から学ぶ鍵は「編集力」にありーーロングセラー「失敗学のすすめ」からネット社会の生き方を学ぶ

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失敗学のすすめ (講談社文庫)

 「失敗に学べ」という言説は今さら目新しくないが、それを提唱して脚光を浴びた本書で強調されているのは、「情報は分類・整理してこそ役に立つ」という「知識化」の重要性だ。
 以下、重要と思われる箇所を要約する。

失敗は忘れられ、肥大するーー直視する大切さ 

 人は弱い生き物で、失敗を直視したがらない。また、人から聞いた失敗談を過小に解釈して「まさか同じようなことは起こらないだろう」とか「自分はそんなミスはしない」と侮ってしまうのもよくありがちだ。
 企業などの組織において、小さな失敗を見逃していると、それはやがて成長し、惨事なって目の前に現れる。新聞沙汰になるような事故やトラブルが、予兆もなくある日突然現れた、などということはありえない。一つの大きな失敗の下には、300件もの「ヒヤリ」「ハット」の見逃しが潜んでいる。
 失敗が小さいうちに向き合い、その本質を見抜くかどうかは、成功と破局の分かれ道となる。

集めた情報は「知識化」せよ

 膨大なだけのデータは、それが必要なものであっても、閲覧しようとする人間の意欲を削ぐ。情報は分類・整理されてこそ活用される(知識化)。また、ある組織・分野が活用できる失敗情報は、300個あたりが限界で、それくらいのデータにまとめるのがよい。

責任追及という危険ーー正確な情報収集のために

 失敗情報の収集においては、真相究明を目的にすること。ここで、同時に責任追及を行うのは避けるべきである。責任追及を行うと、人は罪を免れようとするため、正確な情報が収集できなくなってしまう。(司法取引とは、罰を下すよりも真相を明らかにすることを重視する制度である)
 また、そうしてまとめた失敗情報が、他の人に読まれるようにするためには、その情報が「主観的に記述されていること」も大切だ。
 客観的な情報は無味乾燥になりがちで、読んでも心に響かない。しかし、当事者が何を考え、感じ、どんなプロセスでミスが起こったかということが当人の目線で書かれていると、その情報は俄然生き生きとした現実味をもって迫ってくる。
(本文では登山者の遭難に関する失敗情報が、客観的な記述と主観的な記述とで比較されている。主観的な記述の方が生々しく、印象に残りやすい)

失敗と向き合うことこそ真の知識への道

 受験用の学習(与えられた設問の答えを最短距離で見つけるという学習)は、一見して合理的であるが、知識を本当に吸収したり、実際に役立てたりすることはできない。
 筆者の学生指導の経験から言えば、大きな失敗や挫折を経て、知識の必要性を体感・実感しながら学んでいる学生ほど、どんな場面にも応用できる真の知識が身につく。
 逆に、失敗の経験がない人は、安易に自分の経験を過信するようになる。そして自己研鑽に励むことなく、主体的な学習を怠った挙句、「オレの経験ではー」と軽薄な体験談を振りかざして部下の意欲をそぐダメ上司になってしまう。これが筆者いわく「経験だけの偽ベテラン」である。 

失敗をおそれず挑戦せよ(あとがきより引用)

人間がなにか新しいことをしようと行動すれば、その結果はまずまちがいなく失敗に終わる。しかし、その失敗自体は悪いことではなく、その経験の中で自分が見たこと、感じたこと、考えたことは必ず次に役立つ。このとき一番まずいのは、失敗に懲りて挑戦自体をやめてしまうことである。そうすることでたしかにその人は失敗することもなくなるが、同時に自らが進歩するチャンス、成長するチャンスも失ってしまうことになる。そのことをぜひ覚えておいてもらいたい。

感想

具体例が豊富で、説得力に満ちた本。たとえば「失敗情報は減衰する」という講の説明では、かつて津波に襲われた地域に「ここより下(海側)に家を建てるな」と書かれた石碑が立っているにもかかわらず、そのまわりに家が建っているという写真が掲載されている。一度経験した失敗がきちんと記録されているのに、それに関心が払われず、忘れられる。そして再び同じ過ちが繰り返されるということは、決して珍しくないのである。
人間は失敗から学ばない。しかし、だからこそ、主体的に失敗情報と向き合うだけで、人と明らかな差をつけられるのだ。
また冒頭でも述べたが、情報は集めるだけでなく、分類・整理されて意味を持つ。それを「編集力」と言ってもいいし、「キュレーション」と言ってもいいが、いずれにしろ非常に今日的な課題であると思う。
1500字ではまとめきれないほど、重要な視点を網羅している。精読すべき一冊だ。

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