概要
「氷上のF1」と呼ばれるボブスレーでオリンピックに出場した著者が
出場までの苦悩や挫折をどうやって乗り越えたのか教えてくれる一冊。
知って欲しい競技ボブスレー事実
◆ボブスレーはスポーツの中でもお金がかかる競技
・氷上のF1と呼ばれる理由は、スピードだけでなくずば抜けた費用も
・ソリ1台で数百万円。強豪国になると数千万円!
・遠征時のソリの輸送費だけでも数百万円
・世界大会にフル出場すると1チームだけで1400万円
・金銭面で日本チームは年間2、3戦しかできない
◆海外の強豪国ではソリは一流の自動車メーカーが作成
・ソリ開発はスイスではアウディー、イタリアではフェラーリ、アメリカではNASAが関わっている
・日本チームのソリで海外と戦うのは、軽自動車でフェラーリと戦うのと同じくらい困難
◆ヨーロッパではメジャースポーツ
・ヨーロッパの強豪国では大きな大会では会場が埋めつくすくらいの国民的スポーツ
・モナコ公国の王子がボブスレー選手として長野オリンピックに出場している
◆強豪選手は他国からスカウトされる
・自国では出場できない選手が他国のチームで出場している
・例)モナコはパイロットはモナコ人。ブレーカー(後ろに乗る選手)はチェコ、ポーランドの強豪国出身ということもある。
※パイロット:ボブスレーの前に乗り操縦する人。ブレーカー:ソリを押して加速させてから乗り込む人
著者の競技生活
◆1999年:20歳でボブスレーに出会う
・偶然見たポスターで新人発掘テストに参加
・そこでトップの成績であったためスカウトされる
・順風満帆の成績をおさめていく
◆2001年12月:ソルトレーク五輪の出場権を手にするも参加できず
・出場権は手にするも、日本チームとして男子のみが参加することに
◆2002年2月:ひざの靭帯切断回復手術を受ける
・ここからリハビリ生活を余儀なくされる。
・9月には再手術を受けることに
・2003年1月の日本選手権で優勝して見事ナショナルチームへ復帰
◆トリノオリンピックを目指しナショナルチームへ入るも資金不足
・日本チームには専任コーチもいない状態
・このときロブ(当時オランダチームのコーチ)がたまたま手助けしてくれる
◆資金不足を補うためスポンサーめぐり
・100社近く自分の足で企業を回る
・目の前で企画書を破られることも
・数社からはOKを
・知人の大きな農家さんがスポンサーに
・元の職場の方がカンパを募ってくれた
・オリジナルTシャツを作成で援助を
◆2005年:トリノオリンピックを出場券を得るも再度参加見送りの事態が浮上
・出国2日前に出場ピンチの事態
・取材陣が自宅や職場へ殺到する
・収まりがつかず、急遽会見を開くことに
・会見前に出場が確定する
◆2006年:トリノオリンピックで15位
・バンクーバーでは出場ではなく、勝つために出場を決意!
◆バンクーバーへ向けて勝つための準備を行う
・ロブを専任コーチとして日本チームへ招聘
→本来1000万以上するコーチング料を、著者の熱意に打たれて無料で引き受けてくれる
・世界で戦うために、英語力をアップする
・勝つための相棒(ブレーカー)を探す
→この選考でソフトボールのピッチャー高山樹里と出会い、トップで戦う人間から学ぶ
・これまで集めた資金でソリを新しく買い直す
◆2010年:バンクーバーオリンピックで16位
◆現在は後継者を育てている
著者が伝えたいこと
◆できない自分から逃げない
・逃げずに受け入れて、正面から向き合うしかない
・そうしなきゃ強くなれない。先に進めない
◆運命の出会いこそが、お金に代えられない、夢実現への大きな力になっていく
◆困難は人生レベルで、大きなものをもたらしてくれる
◆本気の熱意と覚悟は、周りを動かす
◆目標を持つ
・具体的な目標があると、くじけず頑張れる
・大小はないので「今よりちょっと前に進みたい」くらいで十分
感想
マイナースポーツは競技外で苦労するという話は聞いたことがありましたが、
こんなにも大変な思いをしているのかということが具体的に書いてありました。
ただボブスレーを続けたいという一心で頑張っていく著者の姿に感動を覚えました。
今くじけそうな方は一度読んでいただければ、元気をいただけます。
著者紹介
桧野真奈美
女子ボブスレー選手として2度のオリンピックに出場。
2006年トリノ五輪で15位、2010年バンクーバー五輪で16位。