「智」と「愚」の分かれ目は、本を読むか読まないかだけである。

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中国古典「一日一話」―世界が学んだ人生の“参考書” (知的生きかた文庫)

【孟子】位卑しくして言高きは罪なり(位卑而言高罪也)

 地位の低い人間が、それより地位の高い人間の仕事について、あれこれ批判めいたことをいうべきではない、ということ。
 孟子の考え方によれば、上位の者は上位の者なりに、下位の者は下位の者なりに、その分をわきまえ、与えられた責任を果たしてしてさえいれば、世の中は平穏におさまる。したがって、分を超えた上位者への批判は、秩序を破壊するものとして排斥されるのだ。
 

【論語】小人の過つや必ず文(かざ)る(小人之過也必文)

 孔子の弟子、子夏(しか)が語った言葉である。「文(かざ)る」とは、表面をとりつくろうこと。すなわち、小人というのは失敗すると、必ず言い訳をしたりとりつくろったりするというのだ。
 「文(かざ)る」のがよくないのは、失敗をとりつくろってばかりいると、失敗した本当の原因がいつまでたってもつかめないからである。原因がつかめない以上、同じ失敗を二度、三度と繰り返す恐れがある。また、失敗したことをしっかり見据えて反省しないのでは、人間としての進歩も向上も期待できない。「文って」ばかりいる人間にとっては、「失敗は成功の母なり」とは成り得ないのである。

【呻吟語】智愚は他なし、書を読むと読まざるとに在り(智愚無他、在読書与不読書)

 「智」と「愚」の分かれ目は、ほかでもない、本を読むか読まないかにある、というのだ。ただし、呂新吾にかぎらず、中国の先陣たちが「書」という場合は、古典や歴史書を指していることが多い。
 書店にあれだけ本が氾濫しているのを見れば、一概に、日本人が本を読まなくなったというのは正解ではない。が、少なくとも昔に比べて、若い人たちが古典を読まなくなったことは確かだろう。

【史記】燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや(燕雀安知鴻鵠之志哉)

 始皇帝の亡き後、秦の圧政に対して真っ先に反乱を起こした人物に、陳勝がいる。彼は若いころ、雇われ農夫として畑を耕していたが、ある日、仕事の合間にふと独り言をもらした。「どんなに偉くなっても、仲間のことは忘れないようにしなくては」。
 それを聞いていた男が、雇われ者のくせに大きな口をたたくな、とせせら笑ったところ、陳勝がいったのがこの言葉である。「燕や雀の類に、鴻鵠(色白く鶴に似た大きな鳥)の考えていることがわかってたまるか」というのである。

【荀子】君は舟なり、庶人は水なり(君者舟也、庶人者水也)

 舟は、それを浮かべている水しだいで、安定もすれば転覆もする。君主と人民の関係にも同じことがいえる。人民の出方しだいで、君主の座は大きくゆらぐ。つまり、君主は舟、人民は水である。したがって、君主が自分の地位を安泰にしたいと思えば、まず何より人民の信頼を得ることだ――これがこの言葉の意味である。荀子はこれを為政者の心構えとして説いたのだが、現代の管理職にも、そっくり当てはまるだろう。

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