2012年9月発行。福島を巡る課題を検討しながら、日本で社会問題が先送りされるメカニズムを明らかにする。
正義を疑う
分断を生み出すのは善意同士の戦い。
- 瓦礫受入れは被災地を思う善意で、瓦礫拒否も健康不安を避けたいという善意 だ。自分の考えこそ真実、と思い込むな。信者が対立派閥を罵倒する「宗教の時代」へ戻ってしまう
日本が変われないのは「悪を見つけて叩けばいい」という思考停止のため。
- 何か事件が起きると、悪を見つけてバッシングして終了。知識人の怠慢が社会問題を温存してきた。 「自分は問題を批判した」という自己満足感だけが残り、飽きると次のバッシングネタ探し 。だから結局変わらない
戦後日本は、経済格差を利用した植民地化の対象を、国内の「地方」に向けた。
- 「東京的なもの」というささやかな豊かさを求める住民を利用し、リスクを置いていく 。他国への侵略と違い可視化できないゆえに、逆に深刻な支配/被支配
福島に悲劇のイメージを押し付けるのは暴力だ。
- 福島に悲劇以外の言説を許さなくなるから。つまり、支配者側の眼差しである
原発という近代の先端への希求が、皮肉にも前近代性をあらわにした。
- 閉鎖的な原子力ムラ、内向的な反原発運動、経済成長のため原発を黙認した多数の国民…。 単純な悪者叩きで答えは出ない
勝てば官軍、に象徴される「後出しじゃんけん」的言説が大問題。
- 事後に善悪の形勢が決まってから、まるで以前から自分は知っていたかのように悪を断罪すること 。明治維新も、太平洋戦争も、原発事故もすべてこのパターン だ。後から騒いで沖縄は結局変わったか? 知識人は、なぜ事前に問題を放置したのか自身を責めよ
東京の脱原発デモも問題。
- 普段無関心なくせに、いきなり善人顔で騒ぎ出した東京を、福島は冷めた目で見ている
「とにかくデモで動けば、何か変わる」は甘すぎる。
- その騒ぎに覆い隠され、課題の本質が放置されたままになる。また、最終目的(=誰に何をもたらすのか)も考えずに騒ぐだけで満足するなら、独りよがりの正義と言わざるを得ない。
見えない現実
事故によって起きた「空白」を人々はどう埋めていくのか。
- 飯館村村長の「2年で帰還」発言は、陳腐な悲劇で済まそうとする外部に抗う試み 。南相馬市長は、事故を1000年に一度の変革の機会と捉えポジティブに活動・提言を行う
原発を絶対悪と決めつけると本質を見失う。単純になくせば問題は解決するか?
- 立地自治体が原発を受け入れたのは、子孫に豊かな地を残したいという素朴な愛郷心だ。外から見ると、原発は事故を起こした忌まわしい存在でしかないが、地元では、“事故がなかった”何十年もの記憶がある。この齟齬が立地自治体への無理解を招く
悪を叩いて自己満足するな。希望を語って解決した気になるな。デモで社会を変革した気になるな。
- 強固な暴力・忘却の構造に対峙しつつ、自らも気づかぬまま支配側に取り込まれることに自覚的であることが重要
対談―忘却に抗う
山下祐介氏(著書「限界集落の真実」など)との対談より。
- 限界集落も福島も、メディアによりチープな悲劇に矮小化され、本質の議論がない
- 問題は放射能だけではない。過疎化、産業の復興、コミュニティや家族崩壊など 。住民不在で決まる政策は、強引に押さえ込もうとする意図を感じる。被災者同士で課題を解決しようとする動きはあるので、その回復を見守るように対応せよ
- 他、荻上チキ氏、古市憲寿氏らとの対談あり
感想
※事情により記事が消えたため、再アップします
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