残虐さだけ誇張されがちな戦争報道のプロパガンダを見抜く イスラム戦士の素顔

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僕がイスラム戦士になってシリアで戦ったわけ

 本書は自衛隊少年工科学校を経た鵜澤佳史氏が2013年4月にシリアのイスラム過激派「ムハンマド軍」に入隊し約3か月間実戦を戦った経験から、日本のメディア報道では伝わってこない彼らの本当の素顔を「伝えたい」思いで出版を決めた書だ。
 著者は自衛官として国防に強い誇りを持っていたが、<平和主義を掲げながら「武力で紛争解決をしているアメリカ」をなぜ日本が支持するのか>と少工校時代に疑問を抱くようになる。「自国防衛で戦わない自衛隊」とは何か。自衛隊本来の使命を果たせていないのではと。
 その後東京農業大学に進学し、農産物の販売会社を設立。だが戦いに行くという選択肢を持つことで「死」という大きな困難をも乗り越えられる「普遍的な価値観」を求めてシリアという戦場に行くことを著者は決意する。
 著者は「反政府軍」に入隊するにあたり、サラフィー・ジハード主義部隊「ムハンマド軍」を現地で手引きされた。イスラム教へ改宗を義務付けられた著者は、シリア人のためではなく「アッラーのために戦う」というイスラム教義を徹底して教育される。
 著者は自衛官時代に戦いの基礎は習得済みとしてすぐに実戦の偵察へと加わった。そこで著者が見た光景は日本で伝えられるシリア報道とは全く異なるものだった。
 司令官や分隊長と共に作戦会議を終え、出撃前の祈りを始めた時だった。次第に戦士たちの声がかすれ、すすり泣きに変わっていった。著者が驚いたのは他の勇猛そうな20歳前後の男達も一緒になってすすり泣きを始めたことである。いくら「宗教のために殉じたい」と言っても「戦って死にたい」という理念と「生きたい」という本能的な感情の狭間で揺れ動いている彼らの素顔を著者は目の当たりにした。
 またムハンマド軍の施設に出入りする地元の子供たちは「バッシャール(アサド大統領)を倒したい」と意気込んでいた。両親を殺されたなどの怒りや憎しみからでも、強制されたわけでもなく、市民が政府軍の砲爆撃で日々虐殺されている中で、そのような人々を助けたいという愛情に近い同情心が彼らを戦いに駆り立てるのではないかと思えたという。
 著者が実戦に出た際、自衛官としての訓練も積みあれほど「戦いたい」と思っていたにも拘らず、言い知れぬ恐怖に襲われた。そして一発の砲弾に著者は仲間と共に死にかけ、重傷を負う。なんとか生き延びるも、日本への帰国を余儀なくされた。
 1年後、NHKから「IS特集のためシリアでの経験を取材させて欲しい」と依頼が来た著者は「『冷酷なテロリスト』というレッテルからサラフィー・ジハーディストの本当の姿を伝えたい」と承諾。だがその肝心な素顔に関する情報は編集でカットされ放送された。その後国内メディアの取材依頼を全て引き受けるも「人を殺したりしなかったのか」と犯罪者を見るような態度で取材してくる記者も多く報道を見た視聴者や読者からもネット上で批判的な書き込みが1000件単位でついたそうだ。
 実際の著者は<戦闘中でも「人を殺したい」なんて一度も思わなかったんだけどな…>と吐露する。本書でも石川明人著の「戦争は人間的な営みであるー戦争文化試論」(並木書房)を引き、「人は純然たる悪意だけで、自らの命を危険にさらし、見ず知らずの人々と戦うことなどできない。むしろ、何らかの意味での愛とか、優しさとか、忠誠心など、広い意味での善意がなければ、何十万、何百人という人間を、戦いに駆り立てることなどできないのではないだろうか」と反論している。
 戦争報道は残虐な部分だけが切り取られ誇張される。本書はそのプロパガンダを見抜く上で参考になる一冊だ。

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