ジャーナリストへの門戸を開く必読書

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ジャーナリストという仕事 (岩波ジュニア新書)

 本書はフリージャーナリスト斎藤貴男氏がさほど熱望して入ったわけではなかったマスコミ業界で試行錯誤を繰り返しながら、鋭敏な危機意識を持つフリーに成長し、独立して今日に至るまでの経験に基づくジャーナリストの仕事へ誘う入門書である。
 斎藤氏は安倍政権の安保法制施行に対し、形骸化した9条と「平和」の意味をすり替えられた日本社会が大きな岐路に立たされる今日、権力のチェック機能たるべきジャーナリズムが衰退化していないか危惧してペンを取った。
 今でこそ知名度、実力ともに地位を築いた斎藤氏だが、出発点の「日刊工業新聞社」に入社した頃は「たまたま縁があっただけ」の業界紙記者時代に取材の基礎力を磨き、憧れだった「週刊文春」編集部へ転職する。ジェネラリストを求める週刊誌記者のデータマンからスタートし、花形のスクープを飛ばすも、一旦は「プレジデント」に移籍。そこで求められる編集能力が肌身に合わず、再び「週刊文春」に出戻りする。斎藤氏は文春記者の仕事の傍らノンフィクション作家だった上之郷利昭氏の手伝いをしていた。だがある日、慢心が口から出た斎藤氏を上之郷氏が諭す。「もっと謙虚になれ。そうでないと、お前は一生、何をやっても、モノにならないぞ。今度またああいうことを言ったら、俺はお前を見限るからそう思え。」斎藤氏にとって取材力や原稿の書き方を教わったこと以上にこの言葉が金言となった。
 ジャーナリストとして取材のスタンスの転機となったのは「梅田事件」という冤罪事件。当時の警察や司法関係者の行為や判断が梅田さんという無実の人間に罪を着せた。本人の強い意志がなくば殺人犯の汚名を着せられたままだったという。そこに権力の選民意識や市井の人の人生を軽視した態度を斎藤氏は初めて感じた。
 斎藤氏は所帯を持ってから家庭生活に比重をかけすぎたためか、契約記者としては事実上の戦力外通告をされたことを機にフリーへ転身する。他人とは違う取材をしなければフリーの存在意義などない。初めての著書「国が騙したーNTT株の犯罪」(文藝春秋社、1993年)を出版し、医療業会の独善にもメスを入れる仕事を連発。イギリス留学を経て帰国後、規制緩和の闇を教育問題から炙り出す教育改革推進派に切り込んだ。「ゆとり教育」を具体化した2002年実施の改訂学習指導要領の原案答申をまとめた責任者の作家 三浦朱門氏から「できん者はできんままで結構。できるものを限りなく伸ばすことに振り向ける。それが“ゆとり教育”の本当の目的」という本音を引き出す。また小渕政権が2000年3月に発足させた首相の私的諮問機関「教育改革国民会議」の座長だった江崎玲於奈氏の「いずれは就学時に遺伝子検査を行い、それぞれの遺伝情報に見合った教育をしていく」との言葉に斎藤氏は愕然とする。子供一人一人の人格も尊厳も存在していないかのような「優秀」だと見なした子供だけを重点的に鍛え「劣っている」の烙印を押された者には努力することすら許されない。斎藤氏はシベリア帰りの鉄屑屋のセガレで、高校では落第寸前だったもののジャーナリストという地位にある自身の生い立ちも踏まえて憤り、著書「機会不平等」(文藝春秋社, 2000年)として世に問うた。斎藤氏はネットジャーナリズムが普及した現代にあえて釘を刺す。「プロのジャーナリストが書くにはアイディアの前提となる知識や認識の裏をとる。たった一行のために何日もの手間と、何十万円もの費用をかける。」「(ニュースバリューの)判断には蓄えた知識、経験則、感覚、価値観などの一切合切を動員するしかない」ジャーナリストへの扉を開く必読書だ。

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