東北、九州の関ヶ原、北陸の関ヶ原。それぞれの選択、それぞれの生き様。

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戦国武将の明暗 (新潮新書)

週刊新潮 連載「戦国武将のROE(交戦規則)」の新書化 第一弾。
※一部のみ抜粋

関ヶ原の戦いは偶発的に生じた?

石田三成「防衛ラインを尾張か三河に設定したい 」← 亡き太閤殿下の小牧・長久手の戦いの再現! (和議に持ち込む)

BUT!
→ 岐阜城落城 → 防衛ラインを関ヶ原近くに再設定
→ 東軍と内通の疑いがある小早川秀秋が防衛の要、松尾山城の伊藤盛正を追い払い占拠!
→西軍パニック!! ←東軍チャンス!! 秀忠率いる徳川本軍を待たずに戦勃発!

小早川秀秋は裏切り者か?

・小早川秀秋は徳川家康の助けて領地う回復しており、恩があった。
・どさくさに紛れて東軍に寝返った多くの武将は厳しく罰せられたが、関ヶ原後、小早川秀秋は加増
→裏切り者ではなく,終始徳川方?

豊臣秀吉はNo.2がお好き!?

・徳川家ー石川数正
・島津家ー伊集院忠棟
・毛利家ー小早川隆景 が豊臣方大名に。

・上杉家ー直江兼続
・龍造寺家ー鍋島直茂 にも声掛けがあったのでは??

江戸は穢土ー穢(けが)れた土地?

江戸は穢土にかかり縁起が悪い。
当時地名の改名は頻繁に行われていた。
何故徳川家康は江戸を改名しなかったのか?
→穢土に生きる覚悟をした?

東北と九州の関ケ原

・関ヶ原の戦い時、なぜ上杉は徳川軍を追わず、北へ進軍したのか?
・黒田如水が九州で領地を広げようとしていたのはなぜか?
→関ヶ原の戦いは豊臣秀吉が築いた「一つの日本」の覇権を争って戦ったが、東北・九州は違った。豊臣秀吉が築いた「一つの日本」が消滅し、再び「群雄割拠」の時代が来ると考え、領地拡大に乗り出した?

北陸の関ヶ原

大谷吉継:北陸の大名が西軍につくよう勧誘 → 成功!!
→「前田家が関ヶ原(東軍)に参戦すると困る」
→前田利長の同母妹の婿、中川光重を拘束。
→「大谷が(前田軍が進軍して手薄になった)金沢に向けて進軍した。」
と利長に偽の手紙を書かせる。
→驚いた前田利長、金沢に駆け戻る。途中、西軍についた丹羽郡と激戦!
→前田利長は、金沢に帰還後、金沢の防備を固め関ヶ原の戦いには参加せず。
→大谷吉継、前田家を金沢に封じ込め成功!!?
※一部物語が含まれます。

女たちの戦国

・戦場と化した大垣城(?)から逃げ延びた おあむ
・淀君に仕え、戦禍の大阪城から逃げ延びた おきく
・女城主 立花誾千代
・女主人 井伊直虎 (2017年大河ドラマ主人公)
・秀吉の愛妾 松の丸殿 などなど…

感想

短編読み物が収録されているため,電車移動時などちょっとした時間に読むのに適しています。
2014年大河ドラマの黒田官兵衛や2017年大河ドラマ予定の井伊直虎にも触れており,ちょっとした話題に最適です。
まとめを読むより原文読むほうが間違いなく面白いです。オススメです。

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