生活が逼迫すると、モラルはなくなる。

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ライフサイエンスの哲学 (講談社学術文庫 91)

戦時中の経験・モラル

 最初、ニューギニアへ行く前に中国にいたのですけれど、その頃は物資がまだたくさんあり、そういうときに、もう生きるのがイヤになったと自殺した人もおります。ところが、ニューギニアへ行って、だんだん食料がなくなってくる、そして、お芋の葉っぱを食べたりしているうちに、だんだん栄養失調になりました。栄養失調になり死ぬ前には、意識が朦朧となってきます。
 その時に、決して人に「どうぞ食べなさい」というモラルはでてこない。そういうモラルを考えるための正常な大脳の働きがストップしてくるからです。だからこそ、そういうモラルが出てくるということは、まだまだ生活に余裕があるあいだであり、生活が逼迫すればすればするほど、まず、だんだんそういうモラルがなくなってくる。まず自分が生きなければいけないという、本物の生物の自然淘汰、あるいは生存競争、強い物が勝つという形になってくる。

身にしみない風景

 私がスーパーマーケットで何か買う時に、その買った肉、あるいは野菜、そういったものがつくられる、その先で一体どういうことが起こっているかということは、全然私たちのイメージとしてわいてまいりません。風景という形で私たちひとりひとりに見えてくる、イメージとして浮かんでくる、ということがないならば、いくら書物や新聞を読んで、ことばで「そういうものをあまりたくさん消費すると、こういうふうになるんだ」ということは知っていても、自分でコントロールできる別の狭い風景の方に頼ってしまって、自分だけの風景のなかで、例えばどうしても家をもっと増築しなければこまるという眺めの方に従ってしまうでしょう。

真理性確証の三条件

 第一に、私たちは無限の対象を一度に制御することはできないから、制御する対象の範囲をまず定めてかからねばならない。
 第二の条件として、どういう目標あるいは目的のために制御するか、ということが定められねば制御の仕方が決定できないから、このことを明確に決定することが必要である。
 第三に、現状の状態をどのように次々と変えていけば目的とする状態に到達するかという、現状から目的に至る経過の必要的な歩みを探りださねばならない。

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