ふたつの戦後 日本よ「小異を捨てて大同に就く」ドイツに学べ

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日本とドイツ ふたつの「戦後」 (集英社新書)

 本書はドイツ在住のジャーナリストである著者が長年日独比較研究を行ってきた知見から、戦後70周年を迎えた日本の節目にドイツの敗戦史との向き合い方の違いを明確にした良書である。
 アウシュビッツに代表されるナチスが行ったユダヤ人大量虐殺の「ホロコースト」を行った忌むべき歴史を持っているにも拘わらず、今日なぜドイツが欧州のリーダーシップを握り受け入れられるようになったのかを著者はつまびらかに明らかにする。
 ドイツとイスラエルの間にはホロコーストの被害者数を巡る論争はなく、約600万人が殺害されたと合意している。これは犠牲者数の明確化という小異を捨て「ドイツが責任を全面的に認めて和解し、両国の間に良好な関係を築く」という大同に就いたためだ。
 また、著者によればグレーゾーンを寛容する傾向にある日本と違い、ドイツ人は善悪の明示化を求める気質にあるという。ドイツは過去の敗戦史を直視し、連邦政府・州政府のみならず企業による補償、戦犯・残虐行為の加担者の刑事訴追、極右暴力との戦いを徹底させた。さらに企業・官庁による情報開示と自己批判を行うことで「ナチスの過去に関する膿は、自分から出すべし」と透明化を図ってきた。
 もう一つ、日本と決定的に異なるのは自国の加害の歴史教育を徹底的に次世代へと教えこむことだ。日本では近現代史をあっさりと流すか、中には戦争自体を教わらない教育方針のまま大学進学する学生もいるのに対し「戦後のドイツ人は、『自分が手を下したわけではないにせよ、ドイツ人である限り、ドイツの歴史から抜け出すことはできない』ことを自覚し、歴史の部分について学び、事実を若い世代に伝えていく責任を強く意識している。」という。
 日本が2014年に「集団的自衛権の行使は可能」という閣議決定を行った際、安倍首相は米国の艦船が乗せた邦人輸送の際に自衛隊に武器使用を認める事例を持ち出した。中国韓国からは激しい批判が噴出し、今持って安保法制を巡り論議は紛糾している只中にある。
 だが、欧州では集団的自衛権を巡る軋轢は起きていない。1991年に勃発したユーゴ内戦でドイツはNATOの加盟国として海上封鎖と空中偵察に参加。ドイツは国連安保理決議と連邦議会の承認を重視して武力行使を行う前提条件に見据えた。
 1995年から2004年まで国連決議に基づくボスニア・ヘルツェゴビナの停戦監視平和維持軍に参加。だが、戦後初めて陸軍を地上戦に派遣したのは9.11米国同時多発テロから米国が始めた対テロ戦の要請に基づく2002年のアフガニスタン侵攻だ。この際、ナチスによる被害を受けた諸国からは批判の声は上がらず「ドイツはEUの事実上のリーダーとして軍事貢献を増やすべきだ」との声さえあったという。
 ドイツと対照的な日本。2014年11月、約2年半ぶりに日中首脳会談が実現したが、これで歴史認識問題が解決されたわけではない。また、韓国の従軍慰安婦を巡る「朝日危機」についても、「韓国によるでっち上げ」などという暴論は放置せず、「強制性」や「慰安婦の数」といった木を見て森を見ない論争からドイツが「小異を捨てて大同に就く」ことで解決した所作から学ぶべしとした。
 日本人が過去と批判的に対決する上で「戦争に対する反省」というと、アジアでの被害者よりも原爆や空襲の犠牲者や軍部の無謀な作戦で戦死した日本兵らの追悼が中心になる。むしろ日本の加害の歴史に目を向け、事ある毎に噴出する過去の歴史認識に基づく被害感情と対峙せよ。さすれば日中韓ASEANの経済共同体が欧米に並ぶ力を持つ日も来るであろう夢を著者は抱くのだ。

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