口筆で描く世界的画/詩家のたどり着いた「いのちが自分を生かしてくれている」という境地

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いのちより大切なもの (Forest books)

 本書は、群馬県名誉県民で画家/詞家の星野富弘氏が2011年3月11日に起きた東日本大震災後に出版した画/詩集である。
 著者は1970年群馬大学教育学部体育科卒業後に中学校の教諭となるものの、クラブ活動の始動中に頸髄を損傷し、手足の自由を失った。
 1972年病院に入院中、口に筆をくわえて文や絵を書き始める。その後雑誌や新聞に詞画作品や、エッセイを連載。1982年高崎で「花の詞画展」を開き、感動を呼ぶ。
 この激賞を受け、1991年群馬県勢多郡東村(現みどり市東町)に村立富弘美術館を開館。1994年ニューヨークで「花の詞画展」、1997年と2000年にホノルルで、2001年にサンフランシスコ・ロサンゼルスで、2004年にはワルシャワ国立博物館で同名展を行った。
 本書では東日本大震災の惨状を病室のテレビで目の当たりにした著者が「あの圧倒的な自然の力を目の当たりにした時、自分が書くものなど、あまりにもちっぽけで何の意味もないように思えて、何も手につけられなくなってしまった」という正直な思いが吐露されている。
 だが、テレビに映し出された東北のどこかの町の瓦礫の間に、枝が折れて倒れそうになって曲がっている一本の木が現れ、その枝先に花が咲いている情景を著者は見た。
 その時、「もう一度やってみよう。」という気持ちが著者の胸を熱くする。「今まで花を描いてきて良かった。小さな私だけれど、あのように人の心に希望をもたらしてくれる花を、これからも描いていこう」と決意したという。
 9年という長い入院期間、過去を遡っては後悔ばかりを繰り返していたという著者。そんな時、聖書の「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(新約聖書/マタイの福音書11章28節)という言葉に著者は出会う。
 「けがをする前の私は、自分の努力で何でもできると信じ、宗教は弱い人が頼るものだと思っていたのですが、『これは、俺の考えている宗教とは全然違う』」と思うようになったのだそうだ。
 けがをし、一生二度と首から下を動かすことができないと分かった時、著者は毎日死ぬことばかりを考え始めた。
 だが、「いのちというものは、俺とは別にあるんだ。俺がいくら生きることをあきらめても、いのちは一生懸命生きようとしているのだ」と悟る。「私の努力でいのちがあるのではなく、『いのちが一生懸命俺を生かしてくれている』と気づいたのです。」
 著者は口だけで絵筆を使って、真摯に謙虚にいのちと向き合い、闘病し、東北で被災された方たちを思い、この画/詩集を出版した。
 花々に彩られた苦難の闘病生活の中でも、懊悩しながら活力を失わない著者が見出した悟りが次の詩篇に垣間見られよう。
 「『そればかりではなく患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す...』(聖書)私のうす暗い明日に、かすかな光がさし込んでくるような気がした。今のこの苦しみは、苦しみだけに終わるのでなく、豊かな人間性や希望につながっているというのである。」
 人は皆それぞれ他人にはわからない苦しみや悲しみを抱えている。大切なのはそれをどう受け止めていくことではないか。この境地に辿りつくまで、誰かを憎み、自らの運命に怒り、時として絶望する者もいることだろう。
 だが、それを「ただ自分の弱さを他人にぶつけているだけではないか」などと、どこかのジャーナリストが強者の論理を振りかざした言葉の方がなんと薄っぺらいものだろうか。  

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