やはり、只者ではない

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天皇の料理番 (上) (集英社文庫)

この4月の下旬から始まったTBS系ドラマ「天皇の料理番」の原作本、上巻。

日露戦争当時だから、明治では37-8年の頃だろう、福井は国高村の大庄屋の次男坊であった篤蔵は、一本気でいたずらも収まらず、禅寺では代々の上人の墓をドミノ倒しにしてしまって破門されてしまった。
10代の中ごろには武生(たけふ)へ養子に行き、そこで料理屋の若旦那となるのだが、もともと手先も器用でかつ面白いと思ったらのめり込むタイプであって、その暮らしは彼も合っていたのだけど、鯖江連隊にご用向きで伺った際、カツレツに初めて出会う。
「うわっ……こりゃうまいもんやなあ。わしはこんなうまいもん、これまでに食うたことがないわい」とここで運命の舵が切られる。
鯖江連隊の田辺軍曹、と言う人は東京で西洋料理店で働いていたコックなのだが、東京にいられなくなった大人の事情があったらしい。
篤蔵はこの田辺軍曹に西洋料理を教わったり食べさせてもらう。
そして、西洋料理をものにしたかったら東京へ行かなあかん、と言われて、既に養子先を離れた後、跡取りのいないとこへ婿養子に行っていたのだけど(17歳の時)、単身東京へ向かうことを決心する。
婚家の義母に40代で子どもができて、婿養子に篤蔵をもらったはいいが、ちょっと困ったことになったと思われていたときだったので、飛び出す決心もついたのだが、奥さんは置き去りにしてしまった。憎いわけではないが、こうと決めたらどうしてもそうしたくなる篤蔵の性格がそういう行動に走らせたらしい。
東京では兄の恩師の紹介で華族会館に下働きの小僧として入職して苦労を重ねるが、あるコックからの嫌がらせに堪忍袋の緒が切れてしまい、そのコックをボコボコにして飛び出してしまう。
その間、故郷から奥さんも一度篤蔵を訪ねて東京に来るのだが、結局婚家とはだんだん疎遠になっていく。
次は西洋料理といっても学生や会社員のお腹を満たすような食事を出す、食堂のようなところで働くが、お客との口論で辞めさせられて、とりあえず故郷に帰ることにした。
肺を患っている長兄に上記のような顛末を告げるが、恩師への報告が抜かっていることを指摘され、素直に従う篤蔵。
以前、手伝いをさせてもらっていたシェフの紹介で次は精養軒という当時の最大・最高のホテル兼レストランに入ることができる。
そこは日本で唯一人のフランス研修帰りのシェフのいるレストランだった。
精養軒で働く内、フランスで学びたいという気持ちがどんどんどんどん高揚してくる。

感想

西洋料理といえばフランス料理。鯖江の田辺軍曹に習った料理もフランス料理だった。
ある時、田辺軍曹がフランスではエスカルゴというが、日本ではリムツタカっていう料理だ、と笑いながら出してくれた料理の正体を知ってオエ、っとはなったが、料理を学ぶならフランス料理だ、と篤蔵は思っている。
彼は、直情径行のように映るが、兄・父の誠意ある言葉には素直に従うし、自分のどこに非があり、何をすべきかを理解でき、そしてそれを誠実に実行することができる。
こと料理に関しては、次の次のことまで考えた気配り、手配りができる。
何もかもが修行と苦しいことも学びに変え、自分の財産とすることができる。
そして、そういったことが文章のはしばしからにじみ出ている。

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