性について考える

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性的唯幻論序説―「やられる」セックスはもういらない (文春文庫)

性について考える

性について人間が持つ多くの概念もまた幻

  • もちろん、性本能も壊れている。性本能が壊れているということは、人間は本能によってはいわゆる正常な性交、すなわち、種族保存に繋がる性交ができないということである。本能によって男が女を求め、女が男を求めることはないということである。正常な性交ができないということは不能ということである。人間はみな基本的に不能なのである。性にまつわるいっさいのことは本能ではなく幻想に基づいており、したがって文化の産物であって、人間の基本的不能を何とかしようとする対策またはその失敗と見ることができる。

幼児性欲

  • 本能が壊れた動物である人間に特有な幼児性欲は、単純に種族保存をめざす動物の性本能と違って、まず自己性愛の形を取り、母親が自分とは別の存在であることを発見する男根期以降、失われた母親との合一を回復したいという欲望として表れる。言い換えれば、人間の性欲は、男の性欲も女の性欲も混沌の状態から脱して対象を求めるとき、まず初め胎内復帰願望として表れる。

キリスト教と性欲の関係、資本主義とセックスの関係

  • 当時(19世紀後半)の西欧の人たち、すなわち近代人は、神に基づく人と人とのつながりを失って必死にあがいていたのである。性欲が神に代わる、人と人とのつながりの根拠として浮かび上がってきて、人々は性欲の満足を求めて焦っていたのである、性欲の満足は単なる生理的欲求の満足ではなかった。どのような形の性欲をもつかは、彼らの世界観・人間観を表しており、彼らがどのような人間関係をもつかということと繋がっていた。
  • 資本主義社会の経済体制を維持するためには計画的・持続的・恒常的な「奴隷」労働が必要である。人々が気紛れに働きたいときに働くのでは十分ではない。また、貧しくて働かないと喰ってゆけなくて仕方なく働くのでは十分ではない。資本主義社会に必要な「奴隷」労働に人々が自ら進んで従事するようになるためには、労働する者が労働に何らかの目的なり意義なりを見出していなければならない。労働に内発的動機がなければならない。それは何であったか。それこそは、恋愛とセックスであった。
  • それまで(近代以前)は別に大して問題にされなかった女たち、結婚しないで、またはお金を取らないで男にセックスを「やらせる」女たちが、性秩序を乱す「淫乱女」として軽蔑され、排除されるようになる。これは無料セックスを撲滅するためであって、無料セックスを野放しにしていたのでは、男たちをセックスのために働かせることができないからである、すなわち資本主義社会にとって好ましくないからであると考えられる。
  • 女は結婚まで処女を守ることが要求されたが、これも同じ目的のためであって、言葉を換えて言えば、女・女体・女性器が簡単に手に入らないようにし、その商品化・神秘化・フェティッシュ化を推し進めて、その商品価値を高めるためであった。
  • つまり、資本主義社会においては、男も女も屈辱に呻き、おたがいに相手を恨んでいた。男は、奴隷労働をしてやっと得たお金を毟り取られるという屈辱に甘んじなければ「やらせてくれない」女に、そして女は、それなしでは生きてゆけないお金や結婚を餌に気の進まない屈辱的なセックスを強要してくる男に恨みを抱いていた。

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