池上彰さん級に日本一分かりやすい!パレスチナ問題

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まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)

本書は今なお混迷を極めるパレスチナ問題を、ユダヤ人とパレスチナ人の2人の少年の立場から漫画調に豊富なイラストを盛り込んだ入門書である。
本書ではまず図解でユダヤ教、キリスト教、イスラム教が、それぞれ同じ神が話したことを基にして派生した宗教のため、極めて類似点が多いと整理している。にも拘らず、なぜ聖地パレスチナでは無益な戦争が十字軍の時代から9.11テロ以降まで続いているのか?基本的な時代背景や原因を分かりやすく理解できる構成の良書だ。
ホロコーストという大量虐殺を経験したユダヤ人は、第二次世界大戦後もロシアなどで迫害を受け、米国やパレスチナへ移民運動を始めた。
石油利権に目のくらんだ英国はアラブ人側につきユダヤ移民を追い返すが、米国がユダヤ人を支持する。当時既に米国では在米ユダヤ人が450万人にも達し、米シオニストグループを率いたベングリオンが圧力をかけ、米国にはユダヤ人ロビーは政治的に無視できなくなっていた。
1947年暴動とテロに手を焼いた英国は、1948年5月15日に撤退。国連はパレスチナをユダヤ国家、アラブ国家、エルサレムの3つに分割する案を採択した。当時のパレスチナの人口は197万人。内、ユダヤ人は3分の1の60万人。パレスチナの56.5%がユダヤ人の国になると到底認められないアラブ人が決起し、パレスチナは内乱状態となり、パレスチナ難民が流出。今日まで禍根を残している。
ベングリオンは1948年5月14日イスラエル建国を宣言する。だが1948年の英軍撤退と共に、アラブ連合軍が兵力15万3400で兵力3万のイスラエルに攻め込み第一次中東戦争が勃発した。アラブ側の圧勝に見られた戦況はイスラエルの逆転勝利に終わる。
その後も1956年10月29日イスラエルが英仏と共に仕掛けた第二次中東戦争(スエズ戦争)や1967年の第三次中東戦争が勃発するが、エジプト軍は僅か6日間で完敗。他国には任せておけぬとアラファトPLO(パレスチナ解放機構)議長が立ち上がり、ゲリラ活動を開始して1968年3月21日対イスラエル戦でアラブ人初の大勝利を収めた。
だが1970年9月12日パレスチナ・ゲリラは英国、スイスなどの旅客機ハイジャック爆発事件を起こし活動拠点のヨルダンを追われ、レバノンを追われ、チュニジアへと転々とした。世界の目をパレスチナ人の悲惨な状況に向けさせるためのハイジャックだったという。PLO傘下のゲリラは1968年から88年の20年間に565件もの国際テロに手を染めた。
1973年10月6日には第四次中東戦争(十月戦争)が勃発。シリア軍とエジプト軍が善戦したが、進軍を突如やめた。エジプトのサダト大統領はイスラエル軍不敗神話を破れば米国を仲介役にイスラエルと和平合意できると睨んだ。狙い通り1973年3月26日エジプトとイスラエルの平和条約が締結され、両国大統領、首相各自がノーベル平和賞を受賞した。
1979年に起きたイラン・イスラム革命でイラン最高権力者となったホメイニが米国敵視政策を取り米国は国交を断絶。同年イラク大統領サダム・フセインにレーガン米大統領は軍事支援し80年にはフセイン主導のイラン・イラク戦争をイラン潰しに利用した。その後のアフガン戦争でも米国は反ソ・ゲリラを支援して養成。その一員のオサマ・ビン・ラディンがアルカイダを組織し、後の2001年に9.11を起こす。
当時のパレスチナの子供や若者のインティファーダ抗議運動を経てアラファトは国連でテロの放棄を宣言。湾岸戦争後の1992年イスラエル首相ラビンとアラファトがオスロ和平合意を結んだのだ。

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