なぜ戦場ジャーナリストは人質になっても、また戦地へ赴くのか?

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常岡さん、人質になる。 ホビー書籍部 [kindle版]

 本書はフリージャーナリストの常岡浩介氏が、2010年4月1日にアフガニスタンでヒズビ・イスラミに誘拐され、157日間の人質にされた事件を同居人の法廷ライター岡本まーこ氏が伝え、にしかわたく氏の漫画で分かりやすく読み解いた良書である。
 常岡氏は2010年4月1日にタリバン幹部へのインタビュー後、車でイマムサヒブに戻る途中でヒズビ・イスラミに誘拐された。アフガニスタンでは当時、米国軍+政府軍VSタリバンという戦争の構図が続き、ヒズビ・イスラミは政府軍に加担している武装勢力だった。常岡氏はカメラなど取材機材を始め所持品を全て没収され、銃を所持した兵士に24時間見張られるという人質生活を送ることとなる。しかし常岡氏からすればつい数日前にヒズビ・イスラミの幹部サバウーン大臣にインタビューしたばかり。事態を楽観視していたという。この人質生活がまさか157日間にも及ぶだろうとは思いもしなかった常岡氏だが、拉致当初「タリバン」を名乗って日本大使館に要求をしていた犯人の正体を掴むため、人質と見張りの関係を逆手に取って実は情報収集していた。やがて兵士たちの話の内容から彼等が「ヒズビ・イスラミ」であることを常岡氏は確信する。ヒズビ・イスラミはカルザイ親米政権の一部になって戦闘しているはずだが、人質になった常岡氏は、彼等が米軍とも政府軍とも、当然タリバンとも戦っていることに気付く。長引く戦闘の中で政府側の指揮系統は腐敗。ヒズビ・イスラミの末端部隊は限りなく「私兵」に近い存在に成り果てていた。
 2010年6月17日毎日新聞が拘束中の常岡氏に電話取材した独占インタビューを発表。実際には犯行グループが日本大使館へ身代金要求をしようと、間違い電話で毎日新聞の特派員にかけてしまったのだ。「72時間以内に身代金100万ドルを支払わなければ人質を殺す」との犯人の恫喝に対し、電話口に出された常岡氏は「犯人はタリバンではなくヒズビ・イスラミです。」「身代金は絶対に支払わないで下さい。」と命がけの真実を伝えた。だが毎日新聞は件の記事で「タリバンが監禁」とスクープしていた。結局72時間が過ぎても常岡氏は処刑されず、無事日本に帰還できた。だが、2001年グルジアでも身柄拘束され、2004年にはロシアで秘密警察に逮捕され国外退去となった常岡氏は、この人質事件が決定的となり、外務省に嫌われ、メディアから干されてしまう。それでも常岡氏は日本帰国から数ヶ月後に同居人らの猛反対を押し切って「自分の身に起きた真相が知りたい」とアフガンへ向けて旅立った。
そんな常岡氏のアフガンへの思い入れは遡ること1993年の貧乏旅行で世界各地を回っていた大学5年時代にルーツがあった。見渡す限りの廃墟を見て、日本の「アフガニスタンは復興に向かっている」などという報道は大嘘だと衝撃を受ける。ジャララバードでアジマールという青年と出会ったことも常岡氏のその後の人生を大きく変えることとなった。当時17歳にして、5カ国語を話し、詩集を出版して英会話を子ども達に教えていたという天才の彼と「ジャーナリストになる」という将来を語り合う。
常岡氏はその後長崎放送の記者となるも、98年に辞職してアフガンへ。アジマールはタリバンの幹部になっていたが脱退してパキスタンに渡り、情報誌を出版。彼もジャーナリストになっていた。2010年3月に常岡氏がタリバン幹部インタビューに成功したのはアジマールの仲立ちがあったからだった。その帰り道に誘拐事件は起きた。それでも「世界が変わるところをこの目で見てみたい」それが2人のジャーナリストの願いだ。

常岡さん、人質になる。 ホビー書籍部 [kindle版]

常岡さん、人質になる。 ホビー書籍部 [kindle版]

  • 常岡 浩介,岡本 まーこ,にしかわ たく

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