外来思想の共通的な『修正』パターン。集団内部の構造が厳格な上下関係(「垂直」の秩序)によって成り立つ

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日本文化のかくれた形

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外来思想の『修正』パターンにこそ、日本人らしさがある。

  • 日本の多少とも体系的な思想や教義は内容的に言うと古来から外来思想である、けれどもそれが日本に入って来ると一定の変容を受ける。それもかなり大幅な『修正』が行われる。先ほどの言葉を使えば併呑型ではないわけです。そこで、完結的イデオロギーとして『日本的なもの』を取り出そうとすると必ず失敗するけれども、外来思想の『修正』パターンを見たらどうか。そうすると、その変容パターンにはおどろくほどある共通した特徴が見られる。そんなに『高級』な思想のレヴェルでなくて、一般的な精神態度としても、私達はたえず外を向いてきょろきょろしている自分自身は一向に変わらない。

集団内部の構造が、しばしば、厳格な上下関係(「垂直」の秩序)によって成り立つ。

  • 日本の「ムラ」集団の構造には、「水平」の面もあると思います。日本の伝統的な農村の中に、たとえば、若者や娘の集まりのように、横の関係もあった。古くから日本の「ムラ」の中には、「水平」の人間関係も入っていたわけで、「ムラ」の秩序は、本来、縦と横です。
  • ある面には「垂直」要素があり、ある面には「水平」要素があって、時と場合に応じて、どちらかの要素が強く出てくるということだろうと思います。そういう伝統的な「横」の構造からは平等主義が出て来やすい。「自由・平等・博愛」というときの「平等」は、たしかにアメリカ占領軍が、民主主義の原理として強調しました。しかしその前から、日本の集団の中に「水平」要素、一種の潜在的な平等主義がなかったわけではない。
  • 徹底したのは、単に占領軍が押しつけたからではなく、元来こちら側というか、日本の土壌に平等要素があったからでしょう。そう解釈しないと、戦後日本の平等主義――経済的・社会的・文化的な――が十分説明されないと思います。殊に「平等」は徹底して、「自由」は徹底しない、という独特の組み合わせが、説明されません。「自由・平等・博愛」の「自由」、個人の自由の方は、伝統的な集団主義と真向から対立し、従ってタテ前の「自由主義」、人権尊重にもかかわらず、実際には日本社会に徹底しなかったと思います。戦後の改革が総じてアメリカの押し付けにすぎないと言う人は、非常に大ざっぱです。もちろんそういう面もあるけれども、改革の中で日本の社会に本当に定着した部分は、元々そういう地盤のあったものです。
日本文化のかくれた形

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  • 加藤 周一,木下 順二,丸山 真男

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