法と道徳を考える

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法とは何か 新版 (岩波新書)

法と道徳についてまとめてみました。チームビルディングの時にもこれを考えても面白いと思います。

法と道徳

日本社会の法と道徳との未分離という問題

  • その問題は、一方においては、昔からの「法」についての日本人の伝統的観念に根差す問題であると同時に、他方においては、これまた昔からの「天皇制」に深く根をおろす問題でもあるからである。
  • その一つの典型的例として、教育勅語が広く受け入れられる基盤を考えてみるがよい。その原型は、たとえば、今日、なお広くテレビなどで愛好されている「水戸黄門」や「大岡裁判」その他、数多くの例の中に見出される。「先の副将軍」とか「お奉行」とか、「おかみ」のえらい人から、「孝行」のおすみつきをいただいて人民は感激し、いっそうの「孝行」を「おかみ」に誓う、というパターンを国家的規模で組織化したのが、教育勅語にほかならなかった。…当時の国民にとって、国民道徳についての天皇の命令は、同じく天皇の命令である法と同じように、絶対に守らなければならないものだったのである。
  • 国家が道徳的価値の担い手であり、国民は国家の指し示す道徳に従っておればよい、という、この天皇制国家の伝統は、またその後の日本ファシズム(天皇制ファシズム)をもたらした一つの要因であった、ともいえるであろう。ドイツにおいても、法と道徳との未分離は、ナチズム道徳観によって歪曲された法の支配をうみ出したことが、しばしば指摘されるのであるが、わが国では、もともと、法と道徳との一体となった天皇制国家の原理があったから、ファシズムの段階における、国体観念を中核とする国民道徳の法的組織化は、いっそう容易に実現された。こうして天皇制国家の道徳原理が、ますます深く、立法・解釈の法原理の中に混入され、もはや、固有の意味での「法」を語ることができなくなったのである。

アメリカと日本で比較する。

  • 一つの例をあげよう。ベトナム戦争下で、アメリカの青年たち、とくに戦争を悪とし、これに反対することを道徳的・宗教的信条とする青年たちは、この深刻なジレンマにおちいった。ある人たちは、道徳的信条を棄て、良心に反し、国家の法秩序に服し、徴兵に応じ、ベトナム戦争に参加した。しかしまた別の人たちは、道徳的信条を大切にし、良心を守りとおすために、違法で処罰されることを覚悟のうえで、兵役義務を拒否した。この場合、法を守った前者のタイプの人の方が、法を拒否した後者のタイプの人より、人間として立派であったと果たしていえるであろうか?
  • 答えは、明らかに否である。道徳的見地よりすれば、良心を貫いた人の方がえらかった、ということになるであろう。そして現に、多くのアメリカ市民は、良心的徴兵拒否の行為を高く評価した。
  • この事例を、戦争中の日本の場合と比較すると、わが国にも、良心を貫いて戦争に反対した人びとは、もちろん存在した。しかし、これらの人たちは、治安維持法その他の法的サンクションを受けたことはもとより、道徳的にも非難されたのである。その典型的言葉は「非国民」という、おそるべき言葉であった。国家政策に協力しない「非国民」は、人間的にも非難され、しばしば周囲の人や親戚の人からも冷たい目で見られた。このことは、大平洋戦争下の日本社会とベトナム戦争下のアメリカ社会との一つの差異を示している。また同時に、このことは、日本における「転向」とは何であったかを考える上に一つの重要な観点を与えるものでもある。

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