都市の権利の歴史がわかる本「都市への権利」

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都市への権利 (ちくま学芸文庫)

がいよう

 都市の権利というよりも、権利周辺のイデオロギーがどうやって構築されてきたかをめちゃんこ詳しく見ていく1冊。とくに後半の入り組みようは、それはそれは……あまりのできばえにかのサルトル様も感心したんだとか。BookLetter一同、精進してまいります。

いや、まぁ、むつかしいです。だから前半だけに

1 工業化と都市化
工業化と都市化は深い関係性を持つ。都市の集中化が資本の集中化を呼び込み、工業は興行的なる都市、人口密集地帯を生み出す必要性に迫られる。両者の諸要素(都市化における居住地の設営や工業化に置ける工場地の確保)は、互いに排斥しあいつつも同時に成長をしていくものだ。工業化は労働者を呼び込むだけではなく、その「地」に銀行・金融・技術・政治的中心をも生み出す。

肥大化にすぎる都市は、秩序/治安の維持を確保するに望ましくない……。都市の周りに亜都市とも言える「郊外」を築き、巧みに労働者層を誘導するのだ。「移動」は自然に起こるものではなく、イデオロギー/広告を巧みに利用し、時に暴力(強制移動)に訴えて執り行われる。

すべての条件は、生産者側による「巧みな住民搾取」を目的として寄せ集められるのだ。

2 哲学と都市
ヘーゲルが提唱した哲学は、観念的なるもの・合理的なるものを現実化することによって、成就を迎える。哲学は口上で取り交わされる「遊戯」ではなく、社会的な実践の内へと居場所を移さなければいけない。

さて、都市についても同じスタイルで取り組む必要があろう。哲学が古くは「都市」と呼ばれる地で大きく花開いたことを鑑みれば、哲学的思考は歴史的な都市の歴史に沿って考察すべきであり、また、都市のあり方についても、哲学的な思惟無しに考察することはできない。

3 細分化された科学と都市現実
社会的実践によは、理論的な限界を突き破る。実践を持ってそれが立証されるが故、理論的な難点はことごとく消え失せていく。イデオロギー(理論)と実践の間の食い違いは、自然と全面に現れてくる。全ては弁証的に成就されていく。

4 都市の哲学と都市計画イデオロギー
都市計画家は、理論だけで進められることが無いが故、病める土地と健全な土地を区別し、各々の土地の有効利用を可能ならしめる。調和的かつ正常化作用をもつ社会的空間の創造は、彼ら無しに達成し得ない。

5 都市の特殊性
かつて、都市の様相は、政治的な権力・国家のあり方、軍事力に大きく変貌してきたが、今日(20世紀後半以降)に至っては、社会の構成要因(個人および集団)との直接的な関係に大きく依存している。

使用価値としての都市と交換価値としての都市。貨幣経済を考慮すると、商人・銀行家などが幅を利かす都市は、「交換」に重きを置きそうだが、実態は俄然「使用」に価値を見出している。もちろん、知識・文化的な価値を見出しうる「歴史」を持つ都市に限る話ではあろうけれども。ここに<都市的なるもの=思惟による理想とその実現>と<都市=なかば過去の歴史を受け継ぐコトに重きを置く>そのものとの溝が現れる。

6 連続と非連続
都市的なるものに通じる「誰を?どのように?何のために?」といった質問は、「都市」に大しては通じない(適応させるべきではない)。体系化のうちに「都市」は定義づけられるものではなく、歴史の上に立つ連続性をまず第一に考察してしかるべきものであろう。

7 現実と分析との諸水準
エクリチュール(文章)ではなく、パロール(語り)によって、都市はカタチ作られる。だが、そのカタチは自然に作られるものではない……しばしば、宗教的な命令、政治的使命、道徳的な命令(カントが言う所の道徳であろう)を、実践的イデオロギーの内に内在させつつ世に送り出されるのだ。

8 都市と田舎
「都市=田舎」および「都市性=田舎性」の違いは何か。近代の都市は、都市=田舎の対立関係によって図式化することはできない。形態も、織り目も、リンクすらもそこにはみられない。田舎から都市へ向けられる指向無き社会、各々がノードであるが、メッシュを築くことは無い……新しい都市形態の萌芽をそこに垣間みよう。

最後に

 読書編集、あわせて30時間もかかったのは久しぶり(参考:新書なら3時間程度)♪ 編集長もあたまショートショートしちゃいました。いやはや、今年一番のくせ者でした。それでも濃厚な書籍はたまりませんねぇ。「わからない、だからこそ面白い」。書物は格闘してなんぼ。皆様もぜひ戦ってくださいませませ。

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