バーテンダーはなぜ伝票をとらなくても客の注文を間違えないのか?

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証言の心理学―記憶を信じる、記憶を疑う (中公新書)

記憶の脆さ

・ウォーターゲート事件のディーン弁護士の証言
 驚くほど詳細なものであったが、後に盗聴された音声と照合すると、事実と異なる点が多くあった

→ディーンは嘘をついたのか
→嘘をつく必要のない点は?
→記憶の曖昧な部分を常識や意味づけによって勝手に穴埋めするのは人間の自然な現象、大抵の場合、大まかな部分しか覚えていないのが普通、細部は証言という場以外では必要とされない

特に常識と意味づけによって穴埋めされている

・インディアンの民話
聞いた直後、数か月後、数年後にどういう話だったかを被験者に尋ねる
→聞いた直後でも、元の話と違うことを語る、それは表現が不可解だったり話のつながりがすっきりしない部分を自分で理解しやすいように変えている
「何か彼の口から黒いものが出て、彼は死んでいた」という趣旨の内容が、非常に描写が細かくなっており「身をもがき」「叫び声を上げ」といった表現が足されている

→数年後になると、その不可解な表現などは完全に消されてしまい、自分で補った表現のほうが残っている

・証言の詳細さ、迫真性、本人の自信と、記憶の正確さは無関係

ネットワークする記憶

・共同想起 同じ体験をした人との会話等の中で記憶を語ることで記憶を穴埋めする
・外的記憶補助 メモや写真などによって記憶を穴埋めしたり、全く記憶していないことを思い出す
 バーテンダーがなぜ顧客の注文を間違えないのか
 →グラスのかたちと並び順、いれかけの材料によって注文がなんであるかを思い出すことができる

・欠陥エラーと作話エラー
欠陥エラーとは思い出せないこと、共同想起の場合はお互い記憶のない部分を補うので半減するが、一方でありもしないことを答えてしまう作話エラーは共同想起の場合は増加する
何人かで話し合うと欠陥を補う一方で記憶違いも生み出してしまう

・同調
上記の共同想起の作話エラーについて、自分が記憶していることと違うことを言う人がいた場合に、自分の記憶のほうを排除し、相手の言う記憶を「事実」として受け入れること
→裁判の場で無意識的に同調するケースでは虚偽証言につながる

・自民党本部放火事件
売った人物を探すために、見たことのある人を選べといってはいけない
記憶の曖昧な証人に、このような不適切な尋問を繰り返しては記憶していることではなく、作話エラーが起きる
→よくありがちな出来事で記憶を埋める傾向、周囲の状況から自分の記憶に取り込んでしまう

写真面割の方法の誤誘導の危険性
→写真面割は捜査機関の仮説によるものであるから、記憶を歪める危険性があり、使われた写真が多すぎることや、誤認逮捕されたFだけが同じ構図の顔写真ではなくスナップ写真であった
最初は「よく覚えていない」と言い、1ヵ月後には写真帳で再びFを選び、数ヵ月後に面通しがあり、2年6ヵ月後の法廷では「全体的によく似ている」「断定できないが同一人物だと思う」「どこか違うなという点はない」と証言
→繰り返される事情聴取や証言によって記憶がより強固に変質することもあり、面割等は一回で終了させる必要がある

10年の裁判の後、Fは無罪となった

正解のない世界

・足利事件の現場を心理学者が検証
現場では人目につきやすい点や葦が高く生い茂っている点が、圧倒的な存在感をもって感じられる
しかし、人目を気にした様子、葦を掻き分ける大変さが自白に出てこない不自然さ
→「無知の暴露」という分析
→問題は、事件から数年経ってからみた現場状況が当日の状況と一致しているという証拠はないこと

第四章以降は略

感想

ある人が自信ありげに語っている姿や、複数の人が口をそろえて同じことを言っている場合、一見して、その人の言っていることは事実なのだろうと感じてしまうが、実は実験の結果などからは、証言の正確さと自信の有無は関係がない、複数人で語ることで自分の記憶にないことも補われてしまうことがあるということが指摘されている。こういうことが、法律のプロと言えど、事実を知っているわけではない裁判官の判断に影響を与え、時には誤った判決を導いてしまうこともある。多くの冤罪事件では、自白や証言の誘導があったことが後に指摘されており、単にそういう嘘をつく必要性がないということだけで、証言を信用するのは危険なことであることは、考え方として定着しつつあるものの、実際の現場での判断は難しい場合もあり、本書では一定のメカニズムを明らかにすることで、最終的な判断の一助となることが望まれていると思う。

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