価値観で政治をやる首相の独り言

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新しい国へ 美しい国へ 完全版 (文春新書 903)

安倍晋三の人物像の表れ

個々の社会的事件について、自信満々に言い切っているものの、本当に理解検証しているのか疑わしい。
例えば、靖国問題については、首相の靖国参拝についての国賠訴訟において、いずれも原告敗訴と記載しているが、厳密には、敗訴といっても、合憲と判断したわけではない。というよりも、違憲だが原告の損害がない又は憲法判断回避である。

事案としては首相参拝ではないものの、97年の愛媛玉串料訴訟では最高裁で違憲判決が出ており、目的効果基準によっても違憲と判断されているが、これ以降に首相の参拝について問題となった判例は小泉参拝訴訟だけである(憲法判断回避されている)。津地鎮祭訴訟のいう目的効果基準によって首相の参拝が合憲と解釈されているとも記載されているが、津地鎮祭訴訟は首相の靖国参拝に関する訴訟ではないため、これが直接の根拠だ、というのなら、やはり愛媛玉串料訴訟を踏まえていない勉強不足の見解といわざるを得ない。
(そもそも、①芦部信喜の名前を知らないと国会で発言しているが、芦部は中曽根時代の靖国懇のメンバーであり、首相の公式参拝について反対意見を発表した人物でもあるのに、その名前を知らないと言っているのだから、憲法の知識は乏しいことは明らか。②下級審では小泉首相の参拝を直接問題とした裁判で違憲判決が2000年代に出ており、少なくともそのすべてにおいて(最高裁も含め)、合憲と判断した例はない。その事実をもって、司法の判断を根拠として合憲と言ってよいというのは、あまりに幼稚な屁理屈にもなっていない。)

アーリントン墓地のような無名戦士の墓と靖国を同視する見解も的外れである。既に批判が出て合理的な反論のできていない部分について、このような書かれ方をしている部分が多い。

公法における「権利」や「義務」の意味

文脈上、色々な喩えをもってきているが、どうも私法、つまり私たち個人の生活における権利や義務というものと、国家に関する、国家対個人における「権利」や「義務」という概念を混同しているように見受けられる。

ある一方の側面からしか見ない考え方

日本国憲法第9条について、ご存知の通り、自衛隊の存在すら、正面から認める判例は存在しない。また集団的自衛権の行使について、解釈のみによって合憲にしようとするための理由づけが書かれているが、それらは法的にはどのような意味があるかについて、なんら書かれていない。
かと思えば、憲法前文の文章がアメリカの押し付けであるかのような捉え方をされているが、いずれも法的にはどのような意味か、を検証しているのではなく、「こういう風にとれるでしょ」という書き方がされているだけである。
議論が紛糾している、というのであれば、その反対意見の根拠を書き、それを論破するというのならわかるが、反対意見の中身やその長所について述べておらず、単にそういう結論だと不都合があるとか、おかしいということが乱暴・稚拙な論証(論証しているつもり?)によって書かれている。

感想

こういう人が日本の首相なんだな、ということがわかるということ以外は意味がない、寒気がしてしまうくらいひどい本。こういうことを比較的肯定的に捉えている人いわく、価値観を重視しているということなのだと思われるが、価値観を重視するとしても、もっと勉強しなければいけないし、論理破綻していてもいけない。少なくとも法学部卒という割に、あまりにも法に関する問題の基本知識が乏しく、正確さに欠けている。

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