その峰の彼方(笹本稜平)の書評・感想

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その峰の彼方

相変わらず笹本稜平の山岳小説は凄まじい。「天空への回廊」も素晴らしかったが、本書もまた違った意味でとてつもない山岳小説だと思う。
最大の違いは何か。それは、ストーリーの主軸にある。
「天空への回廊」は、「山を舞台にした国際謀略小説」と言えると思います。単純化して言えば、あくまでも山は、「人が近づくことが恐ろしく困難な舞台装置」として登場し、物語の主軸はストーリーそのものにある、と言っていいでしょう。こちらの作品はそのストーリーの凄まじさに圧倒される作品と言えるでしょう。
本書はまるで違います。
本書のストーリーの主軸は、「遭難した津田悟を様々な人間が支援して救助する」というものです。もちろん、枝葉は様々に用意されている。けれども、ストーリーは、その「救助」という単純な一点だけに集約されていると思います。
これは凄いと僕は感じました。色々と小説を読んできて感じることは、「物語を展開させるのは難しい」ということだ。だから、ストーリーに様々な要素を付け加えて、読者を惹きつけようとする。それが悪いという話をしたいんじゃない。普通そうでなければ、なかなか読む者を引っ張り続けることは難しい、ということだ。
しかし本書は、「救助」という主軸を決して見失うことなく、最後の最後まで物語の核はそれ一本で通した。そこに凄まじさを感じる。もちろん、人を救うという要素は、物語になる。しかしそれだけで500ページ近い長編を保たせるのは相当に至難の業ではないだろうか。
そして本書では、山がただの舞台装置としてではなく、あたかも一人の登場人物であるかのように扱われている。人間なんかのレベルではその真意を探ることなどまるで出来ないような高次の存在として、山というものが描かれているように僕には感じられる。
様々な人間が様々な形で関わることになるマッキンリーという山の懐は、あたかも「神様の掌」みたいだと思う。その中に入ることを許された人間は、しかし慈悲深い神によってほんの僅かの間滞在を許されただけ。神様がほんの少し掌を返しただけで、その上に載っている人間はひとたまりもない。しかもその掌の上にいる限り、神様が何をどう考えているのか、知りようもない。
マッキンリーと関わりが深ければ深いほど、山にある種の人格を見る。山を一個の人格として扱い、自分たちがその懐をちょっとかき回しているだけのちっぽけな存在であるということを意識している。マッキンリーは天候の変化が急激で、冬ならなおさらだ。一旦吹雪けば、一週間も二週間もその場から動けないことさえある。悟はある場面で、こんな韜晦を抱く。

『クライマーの思い上がった行動に、マッキンリーが要求する対価は死でしかない。自分もけっきょく実力において並みのクライマーに過ぎなかったのだ。そもそも冬のマッキンリーのような困難な山では、実力の優劣などなんの意味もない。そこで生死を分かつのは偶然以外のなにものでもない。
もしそれがアルピニズムの本質だとしたら、人に威張れる行為でも賞賛される行為でもない。それならあらゆるギャンブルが崇高な行為と見なされるべきだろう』

世界屈指のクライマーがそう述懐してしまうほどの驚異を、マッキンリーはクライマーに与える。その存在感は圧倒的だ。ストーリー上の主人公は津田悟だが、本書の真の主役はマッキンリーだと言って言い過ぎではないだろう。

感想

たった一人の人間を救助するだけという、普通に物語れば単調にしかならないだろうモチーフで500ページ近い長編を紡ぎ上げた点は素晴らしいし、その物語の主軸たる幹に連なる枝葉がまた読ませる。「生きること」という深遠な問いを発しながらも哲学的な問答に終始するわけでもなく、様々な人間が自らの内に抱える「悟の断片」が、悟本人を多面的に描き出していく。どう着地するのかまったく読めない救助の過程と、救助後の様々な人たちの決断が、物語をさらに深いものにしていると思います。素晴らしい作品でした。是非読んでみてください。

その峰の彼方

その峰の彼方

  • 笹本 稜平

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