風の向こうへ駆け抜けろの書評・感想

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風の向こうへ駆け抜けろ

古内一絵、ホントいい作品を書きますね。デビュー作からすべて読んでいますけど、弱く儚く希望に満ちていない環境や人物に光を当てながら、人間が少しずつ強くなっていく過程を丁寧に描いていく、そんな印象のある作家です。
この「強くなる」というのは、「尖っていく」というのとはちょっと違う。むしろ登場人物たちは、弱い時ほど尖っているような印象がある。それは、防衛本能に近いかもしれなくて、鎧を着ているようなもので、防御しなくちゃいけないぐらい弱い。でも、彼らは次第に強くなって、尖っていた部分が丸くなっていって、鎧を脱ぎ捨てて、ありのままの自分のまま世界と対峙出来る。彼らがその強さを身につけていく過程を実に丁寧に掬い取っていく作家で、とても巧いと思う。
緑川厩舎には、心に様々なものを抱えた人間たちが集っている。ベテランの厩務員たちにも、それぞれ様々な背景があるが、厩務員の中で一番焦点が当てられるのが、美少年である誠だ。
彼が何を背負っているのか。それは是非本書を読んで欲しいのだけど、誠のあり方は、「居場所」という言葉を強く思わせる。
彼こそ、「居場所」を持つことが出来ない人間だった。どこにも自分の身の置き場がなくて、それで彼は大切なものを失ってしまう。
しかし彼は、馬の世話をすることで、少しずつ少しずつ、失ったものを取り戻そうとしていく。誠は、馬と会話が出来るのかもしれない、と思わせるほど、馬の扱いに長けている。誠が、人生で初めて見つけることが出来た居場所だ。誠にとって、馬を叩いて走らせる騎手は、ある意味で敵だ。
また、ベテラン厩務員の中にも、女に何が出来る、という考えを持っている者はいる。瑞穂はあるジョッキーから、「女のジョッキーに本気で期待する客なんていない」と吐き捨てるように言われるが、競馬会全体を見渡してもごく少数しかいない女騎手は、ただ女だというだけで謂れのない誤解や嫉妬を受ける。
そもそも瑞穂が突き進んでいるのは、そういう世界だ。瑞穂も、それについては理解しているつもりだった。しかし、思っていた以上に瑞穂にとっては辛い環境だった。それは、鈴田という地方競馬場が抱える問題、過去の出来事に絶望している光司、一人の馬主の横暴など、様々な要因が重なっている。
瑞穂には、「居場所」がない。
「勝つ」という志を同じくする同志さえ、当初は見つけられないでいる。いくら地方競馬場が疲弊していようと、「勝つ」という目標さえ共有できないとは。瑞穂は次第に、何故自分がこの競馬場に呼ばれたのかを理解するようになり、一人の騎手として認めてもらえない状況に押しつぶされそうになる。
緑川厩舎には、良い要素はほとんどないように思える。中央のような整った設備もない、勝てそうな馬もいない、騎手は経験の浅い「女」騎手だけ。そんな中、瑞穂の熱に根負けするような形で、緑川厩舎は大きく変わっていく。
その再生の過程は、まさに奇跡と言っていいだろう。

『いいか、木崎。俺たちは勝たなきゃいけないんだ。本当の競馬っていうのはな、人と馬が、一緒に生きることだ。人のためにも、馬のためにも、勝たなきゃダメだ。そのために、お前の力を生かすんだ』

感想

馬という、言葉を介してコミュニケーションを取ることが出来ない存在に対峙して、人間はどう振る舞うことが出来るのか。そこに激しく、人間性が出る。鞭を使って無理やり走らせるのも一つの方法。そして、信頼を媒介にお互いを一つにしていくのも一つの方法。それぞれが、どこにも「居場所」を見い出せないでいた「落ちこぼれた」面々が、「勝利」と共に、自信を身につけ、葛藤を乗り越えていく。人生は、負けっぱなしなままではないかもしれない。そんな思いを抱かせてくれる作品だと思います。是非読んでみてください。

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