芸術起業論。全ての人は起業家である。芸術には、世界基準の戦略が必要である。光を見る瞬間をどう作るか。

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芸術起業論

芸術起業論

作品をヒットさせるには

  • 歴史に残るのは、革命を起こした作品だけ。アレンジメントでは生き残ることはできない。追従者は小銭を稼ぐことはできるが、小銭では未来に生き残れない。
  • 熱量のある雰囲気がなければ客はつかない。すでにあるものを有難がりすぎたり、品のいいものだけをやりすぎたりしていれば、頭一つ抜け出せないのは当然。既存の流派を真似すればその中に埋没する。
  • 芸術は「マネー」との関係なくしては一瞬たりとも生きながらえない。なぜならば、芸術は人の業の最深部であり核心であるから。「マネー」こそが、へばりつく最後の業。この業を克服していく方法こそが、真の練りあげられるべき「芸術」の本体。
  • 金があれば、制作する時間の短縮を買える。芸術には金と時間が必要ということを貧乏の中で実感したからこそ、お金にこだわるようになった。「芸術家のクセにお金にうるさい」と批判されるが、わからない奴にはわからないのだと思ってきた。

日本の事情

  • 日本では、時代のある瞬間にスパークする要素をバラバラまいていないと大勢には受けない。瞬発力のある人しか生き残れない。
  • 日本で芸術が活発でないのは「ピンと来た」という新発見よりも、同じ考えを共有する価値が高くなっているから。欧米人は「ピンと来た」を快感に思う教育を施されているが、日本人はそうでない。
  • 日本の美術大学は生計を立てる方法は教えてくれない。その理由は、「勤め人の美術大学教授」が「生活の心配のない学生」にものを教える構造だから。そのため、金銭を調達する作品を純粋に販売して生業とする芸術家は尊敬されない。
  • 芸術家も作家も評論家も、どんどん学校教師になっていく。日本で芸術や知識を司る人間が社会の歯車の機能を果たせる舞台は、皮肉にも「学校」しかない。
  • 「美味しんぼ」の海原雄山のモデル、北大路魯山人は胡散臭い陶芸家とされている。彼は「星岡茶寮」を開き、階級社会の金銭や権力の構造を掴み、自慢の陶器に乗せた料理で要人をもてなした。この魯山人の販売方法こそ、欧米の美術世界で主流とされる方法である。

海外の事情

  • 海外の美術の世界は「すごい」と思われるかどうかが勝負の焦点。客が期待するポイントは、「新しいゲームの提案はあるか」「欧米美術史の新解釈があるか」「確信犯的ルール破りはあるか」。このルールを外した芸術家は失墜していく。
  • 欧米の芸術のルールに沿わない作品は、「評価の対象外」となり、芸術とは受け止められない。欧米のアーティストと互角に勝負するために、欧米のアートの構造をしつこく分析した。アートピースは、作り方、売り方、伝え方を知らなければ生み出せない。
  • 日本の異端は欧米の評価を受ける。日本の本道は欧米の評価を受けない。
  • アメリカの富裕層には評価の高い芸術を買うことで「成功したね」と社会に尊敬される。そういう人たちが商売相手。コレクターはいいものを購入して自分自身をアピールできる上に、「美術館に寄付した作品の金額が税金控除の対象」になっている。
  • コレクターは悩むものほど欲しがる。コレクターは売買に賭けるので、金銭を賭けるに足る「商品の物語」を必要としている。物語がなければ芸術作品は売れない。売れないなら西洋の美術の世界で評価されない。この部分を日本の芸術ファンは理解できない。
  • コレクターは、作品価格の変動の推移を知りたがる。美術館も価格や評価の変動を見た上で、芸術家の展覧会を企画する。アーティストは何をすれば、作品の価値を高めたり低めたりするか、研究しなければならない。
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