食う寝る坐る永平寺修行記(野々村馨)の書評・感想

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食う寝る坐る永平寺修行記 (新潮文庫)

http://blacknightgo.blog.fc2.com/blog-entry-2042.html

本書は、ずっとサラリーマンだった著者が、ある時ふと思い立ち、福井県にある曹洞宗の大本山である永平寺で一年間修行することにした、その経験を書き綴った作品
著者は、言葉に言い表せない衝動に突き動かされるようにして、修行が厳しいと言われる永平寺へ出家することに決めた。山門をくぐり抜けた瞬間から襲いかかる、まったく未知の世界。お寺の跡継ぎとなる人達が主に修行に来る場に、寺の跡継ぎでも何でもない自分が修行を続けることの困難さ、罵倒や暴力によって徹底的に作法を仕込まれる厳しいあり方、睡眠不足と空腹に常にさいなまれる日々、何かを考えるということがことごとく否定される日常。そういう、それまでの生活とはまったくかけ離れた環境の中で、著者は何を経験し、何を感じたのか
というようなことが綴られていく
本書を読みながら、僕がまっさきに思い出したのが、早見和真の「スリーピングブッダ」という小説です。これは、寺を継ぐ気がなかった主人公が気持ちを変え寺の跡継ぎになるために、修行が厳しいとされる寺で修行をする、というような流れの小説で、その小説の中で描かれる修行の場面は、本書で描かれる世界と本当に近いものを感じました。確認はしていないけど、もしかしたらこの作品を元に「スリーピングブッダ」という小説が描かれているのかもしれないな、という感じはしました
たぶん「スリーピングブッダ」という小説を先に読んでしまっていた、という部分は大きく関係しているのだろうと思います。僕としては、若干面白みに欠ける作品でした。やはり、小説とは言え、「スリーピングブッダ」という作品を読んで、大本山での修行がどういうものであるか、というのがなんとなく知識を持ってしまっているので、新鮮味が薄れていたのかもしれないと思いました。分からないけど、もし読む順番が逆であれば、もっと楽しく読めたのかもしれないな、という気はしています
個人的には、もっと内面の描写がメインだったらよかった、という感じはしました
本書では、修行中こういう仕事がある、こういうものはこういう名前である、というような、事実関係に多くのページが割かれています。それは、資料という意味では非常に面白いと思います。何がどんな風に呼ばれているのか、どういう役職が存在するのか、建物の内部はどういう風になっているのか、そういう描写に面白さを見いだせる人はいるだろうと思います
でも僕としてはもっと、その時著者自身がどう感じたのか、という部分を強く押し出して欲しかったな、という感じがします
もちろんそういう描写は本書の中にもあります。事実関係の描写の間に時折挟み込まれる、著者の鋭い刃のような感覚は好きで、僕の価値観や感覚と近いものを感じられるのだけど、それが本当に全体の中でそこまで多くなく、その挟みこまれた鋭い感覚の描写の後は、またすぐに事実の描写になってしまうので、ちょっと残念だなという感じはしました
ただ、それは書けなかったのかもしれない、という感じはします。僕がそう思う理由は二つあります。
一つは、著者のあとがきのところでちらりと書かれているのだけど、著者は本書を忘れたくない想い出として書き綴ったので、それが永平寺に迷惑を掛けるようなことになったら申し訳ない、というようなことを書いています。恐らく修行の最中、激しい怒りや呪詛のようなものが浮かんだことは多々あったのではないかと想像します。そういうことが想像出来るくらいには、相当壮絶な環境に置かれます

感想

というわけで、僕としては上記で挙げたような理由によりそこまで惹かれなかったのだけど、本書を読んでから「スリーピングブッダ」を読んだりしたらまた違った面白さがあるのかもしれない、とか思いました。あと、京極夏彦の「鉄鼠の檻」を読み返したくなったなぁ。京極堂シリーズの中で、あれが一番好きなんだよなぁ。まああの分量を読み返す気力はちょっとないけど。

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